第3、第4、第5の哨戒 1944年4月 - 12月
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「マスケランジ (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1944年4月 - 12月」の解説
4月30日、マスケランジは3回目の哨戒でフィリピン海に向かった。6月に入ってから他の潜水艦8隻と合流し、マリアナ沖海戦に参加する。マスケランジはヤップ島近海で哨戒任務に就いた。しかし、マスケランジの担当海域を日本艦隊が通過することはなかった。6月28日にダーウィンに寄港。7月4日、マスケランジは65日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 8月1日、マスケランジは4回目の哨戒でフライアー (USS Flier, SS-250) とともに南シナ海に向かった。8月14日朝、マスケランジは北緯13度13分 東経120度21分 / 北緯13.217度 東経120.350度 / 13.217; 120.350のミンドロ島近海で6隻の輸送船、2隻のタンカーおよび2隻の護衛艦からなる輸送船団を発見し、「若竹型駆逐艦」に対して魚雷を4本発射。1本が命中して撃沈したと判断された。マスケランジは南シナ海を西へ向かい、8月21日朝には北緯11度45分 東経109度46分 / 北緯11.750度 東経109.767度 / 11.750; 109.767のインドシナ半島カムラン湾沖で陸岸に沿って航行中のマサ10船団を発見し、魚雷を6本発射。魚雷は3本が輸送船だあばん丸(日本郵船、7,163トン)に向かい、3本のうち1本目と3本目は命中せず陸岸に当たって爆発したが、2本目がだあばん丸に命中、だあばん丸は4時間後に沈没していった。攻撃後、6時間にわたって爆雷攻撃を受けたが、マスケランジに被害はなかった。9月23日、マスケランジは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がローレンス・A・ラジュニー・ジュニア少佐(アナポリス1937年組)に代わった。 10月19日、マスケランジは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。主にパラワン島沖を哨戒し、11月19日夜には北緯13度36分 東経116度09分 / 北緯13.600度 東経116.150度 / 13.600; 116.150の地点で3隻の輸送船からなる輸送船団を発見して魚雷を6本発射したが、命中しなかった。その後、本国でオーバーホールを受けるよう命令が出された。12月14日、マスケランジは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所に回航されてオーバーホールに入った。オーバーホール中に艦長がウィリアム・H・ローレンス中佐(アナポリス1934年組)に代わり、マスケランジは1945年4月9日に真珠湾に戻ってきた。その後、4月26日に真珠湾を出港し、5月8日にサイパン島タナパグ港(英語版)に到着した。
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