第3、第4、第5の哨戒 1944年4月 - 12月とは? わかりやすく解説

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第3、第4、第5の哨戒 1944年4月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 20:34 UTC 版)

マスケランジ (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1944年4月 - 12月」の解説

4月30日、マスケランジは3回目の哨戒フィリピン海向かった6月入ってから他の潜水艦8隻と合流しマリアナ沖海戦参加する。マスケランジはヤップ島近海哨戒任務就いた。しかし、マスケランジの担当海域日本艦隊通過することはなかった。6月28日ダーウィン寄港7月4日、マスケランジは65日間行動終えてフリーマントル帰投した。 8月1日、マスケランジは4回目の哨戒フライアー (USS Flier, SS-250) とともに南シナ海向かった8月14日朝、マスケランジは北緯13度13東経12021分 / 北緯13.217度 東経120.350度 / 13.217; 120.350のミンドロ島近海で6隻の輸送船、2隻のタンカーおよび2隻の護衛艦からなる輸送船団発見し、「若竹型駆逐艦に対して魚雷を4本発射。1本が命中して撃沈した判断された。マスケランジは南シナ海西へ向かい8月21日朝には北緯11度45分 東経10946分 / 北緯11.750度 東経109.767度 / 11.750; 109.767のインドシナ半島カムラン湾沖で陸岸に沿って航行中マサ10船団発見し魚雷を6本発射魚雷3本輸送船だあばん丸(日本郵船、7,163トン)に向かい3本のうち1本目3本目は命中せず陸岸に当たって爆発したが、2本目がだあばん丸に命中、だあばん丸は4時間後に沈没していった。攻撃後、6時間にわたって爆雷攻撃受けたが、マスケランジに被害はなかった。9月23日、マスケランジは54日間行動終えてフリーマントル帰投艦長ローレンス・A・ラジュニー・ジュニア少佐アナポリス1937年組)に代わった。 10月19日、マスケランジは5回目哨戒南シナ海向かった。主にパラワン島沖を哨戒し、11月19日夜に北緯13度36東経11609分 / 北緯13.600度 東経116.150度 / 13.600; 116.150の地点で3隻の輸送船からなる輸送船団発見して魚雷を6本発射したが、命中しなかった。その後本国オーバーホールを受けるよう命令出された。12月14日、マスケランジは56日間行動終えて真珠湾帰投メア・アイランド海軍造船所回航されてオーバーホール入ったオーバーホール中に艦長ウィリアム・H・ローレンス中佐アナポリス1934年組)に代わり、マスケランジは1945年4月9日真珠湾戻ってきた。その後4月26日真珠湾出港し5月8日サイパン島タナパグ港英語版)に到着した

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