第3、第4、第5の哨戒 1943年12月 - 1944年6月
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「スティールヘッド (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1943年12月 - 1944年6月」の解説
9月12日、スティールヘッドは3回目の哨戒でギルバート諸島に向かった。9月19日から23日までは、タラワに爆撃を行った陸軍機の救助支援任務に当たった。9月24日に一旦ジョンストン島に引き返し燃料を補給した後、翌25日に改めてパラオ方面に向かった。10月6日未明、スティールヘッドは北緯10度28分 東経142度29分 / 北緯10.467度 東経142.483度 / 10.467; 142.483のトラック諸島北西方で特務艦風早を発見した。スティールヘッドは風早に対して魚雷を4本発射し、2本を命中させたと判断するが、風早が撃ち返してきたため息をひそめなければならなかった。スティールヘッドは近くにいたティノサ (USS Tinosa, SS-283) と交信して呼び寄せ、最終的にティノサが風早を撃沈したものの、撃沈のきっかけを作ったのはスティールヘッドであった。10月21日未明には、北緯08度25分 東経141度50分 / 北緯8.417度 東経141.833度 / 8.417; 141.833のウルシー環礁南東150海里地点で2隻の特設運送船、國川丸(川崎汽船、6,863トン)と五洲丸(五洋商船、8,592トン)、駆逐艦太刀風からなる輸送船団を発見。魚雷を3本発射し、うち2本が五洲丸の右舷に命中して火災を発生させた。11月3日未明、スティールヘッドは北緯05度58分 東経134度49分 / 北緯5.967度 東経134.817度 / 5.967; 134.817の地点で輸送船団を発見し、魚雷を6本発射したが、爆発は確認しなかった。護衛艦の反撃をやり過ごして浮上したが、午後に入って別の7隻の輸送船団を発見し、夕方になって魚雷を計7本発射したが、これも命中しなかった。追跡は11月4日に続き、午後に北緯05度01分 東経139度58分 / 北緯5.017度 東経139.967度 / 5.017; 139.967の地点で魚雷を4本発射するも、この攻撃も成功しなかった。11月25日、スティールヘッドは72日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 12月25日、スティールヘッドは4回目の哨戒で日本近海に向かった。1944年1月10日、スティールヘッドは北緯31度42分 東経137度50分 / 北緯31.700度 東経137.833度 / 31.700; 137.833の地点でレーダーにより3隻の輸送船と2隻の護衛艦を探知。魚雷を4本発射し、1本が特設工作艦山彦丸(山下汽船、6,799トン)に命中。山彦丸は大破し、僚船山国丸(山下汽船、6,921トン)に曳航されて八丈島八重根湾に到着するが、1月11日に風浪圧により被雷箇所から船体切断、前部が沈没。残った後部も1月13日に沈没した。スティールヘッドはさらなる攻撃を加えようとしたが、爆雷攻撃に阻まれた。その後、スティールヘッドは豊後水道方面を哨戒したが、1月26日に病院船を見ただけで戦果はなかった。帰投中の2月14日未明、スティールヘッドのレーダーは北緯31度30分 東経143度24分 / 北緯31.500度 東経143.400度 / 31.500; 143.400の地点で複数の目標を探知、追跡の末に夜に入って北緯30度39分 東経142度25分 / 北緯30.650度 東経142.417度 / 30.650; 142.417の地点で魚雷を6本発射。8つの爆発音が聞こえたが、命中音は聞こえなかった。2月15日未明にも魚雷を4本発射したが、こちらも音沙汰なしであった。2月20日、スティールヘッドは61日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 3月22日、スティールヘッドは5回目の哨戒で東シナ海、台湾近海に向かった。4月17日夜にバーブ (USS Barb, SS-220) とともに沖大東島の建物に対して艦砲射撃を行い、4月30日には北緯26度10分 東経125度34分 / 北緯26.167度 東経125.567度 / 26.167; 125.567の地点で300トン級トロール船を発見し、3インチ砲と20ミリ機銃による攻撃で撃ち沈めた。5月23日、スティールヘッドは62日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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