第3、第4、第5の哨戒 1944年8月 - 1945年2月
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「フラウンダー (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1944年8月 - 1945年2月」の解説
8月1日、フラウンダーは3回目の哨戒でフライングフィッシュ (USS Flying Fish, SS-229) とともにミンダナオ島方面に向かった。8月8日から9日にかけてゼーアドラー湾で補給した後、第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)によるフィリピンへの航空攻撃に対する救助支援任務に従事した。この哨戒では敵艦との接触はほとんど無く、8月18日午前に北緯05度34分 東経125度38分 / 北緯5.567度 東経125.633度 / 5.567; 125.633の地点で第30号掃海艇に対して魚雷を4本発射し命中しなかったのが唯一の戦闘で、第30号掃海艇は攻撃をかわして爆雷で反撃を行ったため、フラウンダーは潜航避退した。その後8月28日から9月1日までミオス・ウンディ島で燃料等を補給し、補給後は再びフライングフィッシュとともにダバオ湾(英語版)などで哨戒を続けた。9月28日にゼーアドラー湾に寄港し、10月4日、フラウンダーは61日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 10月27日、フラウンダーは4回目の哨戒でバッショーおよびガヴィナ (USS Guavina, SS-362) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった。10月31日にミルン湾で補給を受け、11月5日にダーウィンに寄港して再度の補給を受けて哨区に針路を向けた。11月10日、フラウンダーはロンボク海峡の北部で小型艇を観測する。その2時間後、南緯07度13分 東経115度17分 / 南緯7.217度 東経115.283度 / -7.217; 115.283の地点で再び観測すると今度は潜水艦、それもドイツ海軍のUボートの司令塔と認識された。フラウンダーは潜航して戦闘配置に就き、魚雷を4本発射して2本の命中が観測され、敵潜水艦は爆発し炎と煙に包まれた。30分後に潜望鏡深度に戻って観測したが、何も見つけることができなかった。フラウンダーはペナン、スラバヤなどを拠点にモンスーン・グルッペ(英語版)の一艦として活動していたU-537(英語版)を撃沈したのであった。11月21日午後、フラウンダーは2隻の護衛艦を配する2隻の輸送船を発見して接近する。北緯10度39分 東経115度05分 / 北緯10.650度 東経115.083度 / 10.650; 115.083の地点で先頭の輸送船に向けて魚雷を6本発射し、魚雷は輸送船暁山丸(拿捕船、5,698トン)に3本が命中して大破させた。しかしながらその後は敵艦との接触はあれど攻撃機会はなかった。12月13日、フラウンダーは46日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 1945年1月7日、フラウンダーは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。しかし、音響測深機が故障したため再びフリーマントルに戻り、1月12日から14日まで音響測深機の修理を行い、修理完了ののち再度南シナ海に向かった。2月12日午後、フラウンダーは北号作戦で日本本土に向かう完部隊を捕らえるべく翌2月13日まで追跡したが、わずかにタイミングを逸してこれらの目標への接近はできなかった。2月22日、フラウンダーは北緯12度51分 東経109度31分 / 北緯12.850度 東経109.517度 / 12.850; 109.517の地点で大型のジャンクに対して魚雷を4本発射するが、このうち4本目が不安定な方向へ進み、フラウンダーの熟練した乗組員は、自らの魚雷の直撃をどうにか避けることができた。翌2月23日朝、フラウンダーはインドシナ半島沖で潜望鏡深度で航行中、同じく潜望鏡深度で航行中だったホー (USS Hoe, SS-258) と互いに擦れ合い、ホーのキールが損傷してわずかな漏れが視認できたが、すぐに修理が行われた。2月25日、フラウンダーは42日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。
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