第3、第4、第5の哨戒 1945年2月 - 9月
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「レザーバック (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1945年2月 - 9月」の解説
2月1日、レザーバックは3回目の哨戒でセグンド、シーキャット (USS Sea Cat, SS-399) とウルフパックを組んで東シナ海に向かった。この哨戒では、2月23日と3月1日に敵船に対して魚雷を発射したが、命中しなかった。3月5日に木造海上トラックを砲撃で撃沈したのを皮切りに、3月6日と9日には、3隻それぞれが浮上して艦砲により4隻の木造船を沈め、レザーバックは日本兵3名を捕虜にした。レザーバックはグアムに寄港して捕虜を下ろし、3月26日に53日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 5月7日、レザーバックは4回目の哨戒で日本近海に向かった。日本の南方洋上および東京湾海域での救助配備任務を命じられ、5月25日には第21戦闘機部隊のP-51パイロット、チャールズ・E・テイラー中佐を救助した。6月5日には神戸を空襲し撃墜されたB-29のクルー4名を救助した。6月27日、レザーバックは50日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 7月22日、レザーバックは5回目の哨戒でオホーツク海方面に向かった。8月2日、レザーバックは北緯44度41分 東経147度04分 / 北緯44.683度 東経147.067度 / 44.683; 147.067の地点で2隻の350トン級海上トラックを発見し、砲撃で撃沈した。間を置かず別の海上トラックと武装したラガー (船)(英語版)の集団が現れ、4隻の海上トラックを砲撃で沈め、残った海上トラックとラガーを破壊した。哨戒の残りは幌筵島沖でアラスカを拠点とする航空機に対する救助配備任務に当たった。8月31日、レザーバックは他の潜水艦11隻と共に東京湾に入港し、9月2日の日本の降伏文書調印式典に参列。この時点で39日間の行動を終えた。レザーバックは式典翌日の9月3日に出航。9月11日に真珠湾に到着し、9月20日にサンディエゴに帰還した。
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