第3、第4、第5の哨戒 1945年1月 - 7月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/17 09:40 UTC 版)
「ロンクィル (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1945年1月 - 7月」の解説
1945年1月1日、ロンクィルは3回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。同海域で、日本本土を攻撃する陸軍の爆撃機支援として救助艦任務に当たる一方、2月7日には呉竹丸(日本郵船、1,924トン)を撃破した。2月14日、ロンクィルは43日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。 3月11日、ロンクィルは4回目の哨戒で小笠原諸島方面に向かった。この哨戒でも実質救助艦任務がメインであり、B-29の乗員10名を救助した。4月24日、ロンクィルは45日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 5月19日、ロンクィルは5回目の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。しかし、この哨戒で戦果を挙げることはなかった。7月26日、ロンクィルは67日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。戦争終結時、ロンクィルは次の哨戒に向けて真珠湾沖での訓練中であった。
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