第2、第3、第4、第5の哨戒 1944年11月 - 1945年7月
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11月15日、ベクーナは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。この哨戒では、1945年1月2日に南緯05度50分 東経113度12分 / 南緯5.833度 東経113.200度 / -5.833; 113.200と南緯06度09分 東経113度33分 / 南緯6.150度 東経113.550度 / -6.150; 113.550の2カ所で、300トン級および800トン級の海上トラックを砲撃により撃沈した。1月8日、ベクーナは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 2月4日、ベクーナは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。2月22日、ベクーナは北緯11度30分 東経109度06分 / 北緯11.500度 東経109.100度 / 11.500; 109.100のインドシナ半島ファンラン湾沖で南号作戦参加のヒ88H 船団を発見。応急タンカー日翼丸(日産汽船、1,943トン)に向けて魚雷を4本発射し、うち1本が日翼丸に命中しこれを撃沈した。3月22日、ベクーナは46日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。 4月15日、ベクーナは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。しかし、この頃には南シナ海に日本の艦船の姿を見ることは出来ず、攻撃の機会もなく戦果はなかった。5月24日、ベクーナは39日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がウィリアム・J・ブッシュ(アナポリス1938年組)に代わった。 6月21日、ベクーナは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。7月16日に一度のみ攻撃機会があったが、前回同様戦果を挙げることはなかった。7月27日、ベクーナは36日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。
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