第2、第3、第4の哨戒 1942年10月 - 1943年4月
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「ハダック (潜水艦)」の記事における「第2、第3、第4の哨戒 1942年10月 - 1943年4月」の解説
10月11日、ハダックは2回目の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。10月31日朝、ハダックは北緯33度00分 東経126度25分 / 北緯33.000度 東経126.417度 / 33.000; 126.417の馬羅島灯台近海で特設運送船唐山丸(東亜海運、2,103トン)に対し魚雷を3本発射するも、命中しなかった。11月1日に長崎港方面に向かうと思しき病院船を確認の後、11月3日未明に北緯32度18分 東経126度52分 / 北緯32.300度 東経126.867度 / 32.300; 126.867の地点で駆逐艦長月が護衛する第181船団を発見し、「大型タンカー」と目された輸送船鉄海丸(原田汽船、1,925トン)に対して魚雷を3本発射して1本命中させ、鉄海丸は4分程度で沈没した。 攻撃後、ハダックは巨文島の方向に移動する。11月6日午後にも北緯33度46分 東経127度30分 / 北緯33.767度 東経127.500度 / 33.767; 127.500の巨文島近海で陸軍輸送船仏蘭西丸(栃木商事、5,828トン)を発見し魚雷を3本発射したが命中せず、約2時間後には航空機に制圧された。11月8日午後には北緯34度00分 東経125度05分 / 北緯34.000度 東経125.083度 / 34.000; 125.083の地点で輸送船豊国(とよくに)丸(日本製鐵、5,792トン)に対して魚雷を3本発射したが、推定15ノットの速力で航行する目標には命中しなかった。11月11日夕刻には北緯35度45分 東経123度46分 / 北緯35.750度 東経123.767度 / 35.750; 123.767の地点で輸送船べにす丸(川崎汽船、6,571トン)をレーダーで探知し魚雷を4本発射し、船尾に魚雷を1本命中させて撃沈した。目標との遭遇はなおも続く。11月13日深夜には北緯36度01分 東経125度56分 / 北緯36.017度 東経125.933度 / 36.017; 125.933の地点で7,000トン級輸送船とタンカーをレーダーで探知してそれぞれの目標に対して魚雷を3本ずつ発射し、「輸送船に1本命中させて撃沈し、タンカーにも1本命中させて撃破した」と判断される。11月16日夕刻にも北緯31度58分 東経126度12分 / 北緯31.967度 東経126.200度 / 31.967; 126.200の地点でタンカー日南丸(飯野海運、5,175トン)に対して最後に残った2本の魚雷を発射し、1本が命中と判断された。12月4日、ハダックは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 12月28日、ハダックは3回目の哨戒で日本近海に向かった。1943年1月16日未明、ハダックは北緯33度41分30秒 東経136度32分00秒 / 北緯33.69167度 東経136.53333度 / 33.69167; 136.53333の潮岬沖で新鋭の駆逐艦初月と涼月に発見され執拗な爆雷攻撃を受けるが、逃げることが出来た。翌1月17日、ハダックは北緯34度31分 東経137度48分 / 北緯34.517度 東経137.800度 / 34.517; 137.800の御前崎近海で第7116船団を発見し、「6,500トン級タンカー」に対して魚雷を3本発射して1本命中と判断される。第7116船団中の海軍徴傭船天龍川丸(東洋海運、3,883トン)は、この攻撃を砲撃によるものと考えていた。2日後の1月19日には北緯34度12分 東経137度00分 / 北緯34.200度 東経137.000度 / 34.200; 137.000の大王崎近海で6隻の輸送船団を発見し、魚雷を4本発射して2本が命中と判断される。しかし実際には目標に到達する前に爆発しており、この輸送船団を護衛していた特設駆潜艇和美丸(日本水産、99トン)は、ただちに反撃の爆雷攻撃を行った。その後は悪天候に見舞われ、哨戒は難渋を極めた。2月17日、ハダックは51日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がロイ・M・ダヴェンポート(英語版)少佐(アナポリス1933年組)に代わった。 3月11日、ハダックは4回目の哨戒でパラオ方面に向かった。3月17日から18日にかけてウェーク島を偵察し、レーダーや砲台の有無を調べた。偵察後はパラオでの哨戒の前にトラック諸島とサイパン島間の航路を哨戒。3月24日午後、ハダックは北緯09度00分 東経150度56分 / 北緯9.000度 東経150.933度 / 9.000; 150.933の地点で那智型重巡洋艦と推定される大型艦と3隻の駆逐艦を発見する。折からのスコールの中、ハダックはレーダーを駆使して全速力で追跡を行うが、攻撃位置に取りつく事が出来ず振り切られた。3月30日にフィンバック (USS Finback, SS-230) と会合の後パラオ方面に針路を向ける。パラオ北方海域に到着して間もない4月3日、ハダックは北緯10度12分 東経134度35分 / 北緯10.200度 東経134.583度 / 10.200; 134.583の地点で、バリクパパンからトラックに向かう途中の特設運送船(給油・応急タンカー)有馬丸(日本郵船、7,389トン)を発見する。有馬丸は駆逐艦夕月と会合すべく何度も無電を発したが、この電波がハダックにキャッチされたと考えられた。ハダックは魚雷を発射し、うち2本が有馬丸に命中して有馬丸は沈没した。直後から有馬丸の後方にいた夕月が爆雷攻撃を行った。爆雷は26発投下され、ハダックは100メートルを超える深深度に潜んでいたにもかかわらず爆雷の被害を受けた。125メートル過ぎでは司令塔が圧壊しかけるなどダメージを受けた。爆雷攻撃が終わると、ハダックは90メートルの深度まで上昇し、応急修理を行った。深夜に入って受信した日本側の放送は、「本4月3日、船団を護衛していた帝国海軍艦艇は潜水艦を撃沈した」ことを伝えていた。ハダックは針路をサイパン島の方角に向けて航行し、4月7日にはタナパグ湾(英語版)に入り通あった加賀型空母か特設空母らしき艦船を目撃する。4月19日、ハダックは39日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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