第2、第3、第4の哨戒 1942年10月 - 1943年4月とは? わかりやすく解説

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第2、第3、第4の哨戒 1942年10月 - 1943年4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:33 UTC 版)

ハダック (潜水艦)」の記事における「第2、第3、第4の哨戒 1942年10月 - 1943年4月」の解説

10月11日ハダック2回目の哨戒東シナ海および黄海方面向かった10月31日朝、ハダック北緯3300東経12625分 / 北緯33.000度 東経126.417度 / 33.000; 126.417の馬羅島灯台近海特設運送船唐山丸(東亜海運、2,103トン)に対し魚雷3本発射するも、命中しなかった。11月1日長崎港方面に向かうと思しき病院船確認の後、11月3日未明北緯3218東経12652分 / 北緯32.300度 東経126.867度 / 32.300; 126.867の地点駆逐艦長月が護衛する第181船団発見し、「大型タンカー」と目され輸送船鉄海丸(原田汽船、1,925トンに対して魚雷3本発射して1本命中させ、鉄海丸は4分程度沈没した攻撃後、ハダック巨文島方向移動する11月6日午後に北緯3346東経12730分 / 北緯33.767度 東経127.500度 / 33.767; 127.500の巨文島近海陸軍輸送船仏蘭西丸(栃木商事、5,828トン)を発見し魚雷3本発射した命中せず、約2時間後には航空機制圧された。11月8日午後に北緯3400東経12505分 / 北緯34.000度 東経125.083度 / 34.000; 125.083の地点輸送船豊国とよくに)丸(日本製鐵、5,792トンに対して魚雷3本発射したが、推定15ノット速力航行する目標には命中しなかった。11月11日夕刻には北緯3545分 東経12346分 / 北緯35.750度 東経123.767度 / 35.750; 123.767の地点輸送船べにす丸(川崎汽船、6,571トン)をレーダー探知し魚雷を4本発射し船尾魚雷を1本命中させて撃沈した目標との遭遇はなおも続く。11月13日深夜には北緯3601東経12556分 / 北緯36.017度 東経125.933度 / 36.017; 125.933の地点で7,000トン輸送船タンカーレーダー探知してそれぞれの目標に対して魚雷3本ずつ発射し、「輸送船に1本命中させて撃沈しタンカーにも1本命中させて撃破した」と判断される11月16日夕刻にも北緯3158東経12612分 / 北緯31.967度 東経126.200度 / 31.967; 126.200の地点タンカー日南丸(飯野海運、5,175トンに対して最後に残った2本の魚雷発射し、1本が命中判断された。12月4日ハダック54日間行動終えて真珠湾帰投した。 12月28日ハダック3回目の哨戒日本近海向かった1943年1月16日未明ハダック北緯334130秒 東経1363200秒 / 北緯33.69167度 東経136.53333度 / 33.69167; 136.53333の潮岬沖で新鋭駆逐艦初月涼月発見され執拗な爆雷攻撃を受けるが、逃げることが出来た。翌1月17日ハダック北緯3431分 東経13748分 / 北緯34.517度 東経137.800度 / 34.517; 137.800の御前崎近海で第7116船団発見し、「6,500トンタンカーに対して魚雷3本発射して1本命中と判断される。第7116船団中の海軍徴傭天龍川丸(東洋海運、3,883トン)は、この攻撃砲撃よるもの考えていた。2日後1月19日には北緯3412東経13700分 / 北緯34.200度 東経137.000度 / 34.200; 137.000の大王崎近海で6隻の輸送船団発見し魚雷を4本発射して2本が命中判断される。しかし実際に目標到達する前に爆発しており、この輸送船団護衛していた特設駆潜艇和美丸(日本水産99トン)は、ただちに反撃爆雷攻撃行ったその後悪天候見舞われ哨戒難渋極めた2月17日ハダック51日間行動終えてミッドウェー島帰投艦長ロイ・M・ダヴェンポート英語版少佐アナポリス1933年組)に代わった。 3月11日ハダック4回目の哨戒パラオ方面向かった3月17日から18日にかけてウェーク島偵察しレーダー砲台有無調べた偵察後はパラオでの哨戒前にトラック諸島サイパン島間の航路哨戒3月24日午後ハダック北緯0900東経15056分 / 北緯9.000度 東経150.933度 / 9.000; 150.933の地点那智重巡洋艦推定される大型艦と3隻の駆逐艦発見する折からスコールの中、ハダックレーダー駆使して全速力追跡を行うが、攻撃位置取りつく事が出来ず振り切られた。3月30日フィンバック (USS Finback, SS-230) と会合の後パラオ方面針路を向ける。パラオ北方海域到着して間もない4月3日ハダック北緯10度12東経13435分 / 北緯10.200度 東経134.583度 / 10.200; 134.583の地点で、バリクパパンからトラックに向かう途中特設運送船給油応急タンカー有馬丸日本郵船、7,389トン)を発見する有馬丸駆逐艦夕月会合すべく何度も無電発したが、この電波ハダックキャッチされたと考えられた。ハダック魚雷発射し、うち2本が有馬丸命中して有馬丸沈没した直後から有馬丸後方にいた夕月爆雷攻撃行った爆雷26投下されハダック100メートル超える深深度に潜んでいたにもかかわらず爆雷被害受けた125メートル過ぎでは司令塔圧壊しかけるなどダメージ受けた爆雷攻撃が終わると、ハダック90メートル深度まで上昇し応急修理行った深夜入って受信した日本側の放送は、「本4月3日船団護衛していた帝国海軍艦艇潜水艦撃沈した」ことを伝えていた。ハダック針路サイパン島方角向けて航行し4月7日にはタナパグ湾(英語版)に入り通あった加賀空母特設空母らしき艦船目撃する4月19日ハダック39日間行動終えて真珠湾帰投した。

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