第2、第3、第4の哨戒 1945年1月 - 9月
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「ジャラオ (潜水艦)」の記事における「第2、第3、第4の哨戒 1945年1月 - 9月」の解説
1945年1月6日、ジャラオは2回目の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。この頃になると日本船団は激減し、この哨戒でジャラオは目標をほとんど発見することができなかったが、3月5日に輸送船団と遭遇、これに攻撃を行った。戦闘中に敵護衛艦がジャラオへの体当たりを試み、潜望鏡が破損した。その2日後にジャラオは哨区を去った。3月26日、ジャラオは65日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 4月20日、ジャラオは3回目の哨戒で日本近海に向かった。その途次、ジャラオは南鳥島沖での救助任務を命じられ同海域を哨戒した。5月9日に同島北方海域で、救命筏に乗る5名を沿岸砲台よりの砲撃にもかかわらず救助し、5月12日に彼らをサイパン島に送り届けた。その後出港し日本本土沖で哨戒を再開。B-29などアメリカ軍爆撃機の救助任務に当たった。6月13日、ジャラオは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。グアムに回航されて訓練を行った。 7月31日、ジャラオは4回目の哨戒で日本海に向かった。8月11日夜、ジャラオは北緯38度03分 東経133度12分 / 北緯38.050度 東経133.200度 / 38.050; 133.200の朝鮮半島江原道三渉北西海域で貨物船帝北丸(元フランス船ペルセー、帝国船舶/三井船舶委託、5,795トン)を撃沈した。8月15日に戦争は終了。9月9日、ジャラオは51日間の行動を終えてアプラ港に帰投。その後、9月28日にサンフランシスコに到着した。ジャラオはメア・アイランド海軍造船所で1946年9月30日に退役し、太平洋予備役艦隊入りした。
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