第2、第3、第4の哨戒 1945年1月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第2、第3、第4の哨戒 1945年1月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 03:32 UTC 版)

ジャラオ (潜水艦)」の記事における「第2、第3、第4の哨戒 1945年1月 - 9月」の解説

1945年1月6日、ジャラオは2回目の哨戒東シナ海および黄海方面向かったこの頃になると日本船団激減し、この哨戒でジャラオは目標をほとんど発見することができなかったが、3月5日輸送船団遭遇、これに攻撃行った戦闘中に敵護衛艦がジャラオへの体当たり試み潜望鏡破損したその2日後にジャラオは哨区を去った3月26日、ジャラオは65日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 4月20日、ジャラオは3回目の哨戒日本近海向かった。その途次、ジャラオは南鳥島沖での救助任務命じられ海域哨戒した。5月9日に同島北方海域で、救命筏乗る5名を沿岸砲台よりの砲撃にもかかわらず救助し5月12日に彼らをサイパン島送り届けたその後出港し日本本土沖で哨戒再開B-29などアメリカ軍爆撃機救助任務当たった6月13日、ジャラオは55日間行動終えて真珠湾帰投グアム回航されて訓練行った7月31日、ジャラオは4回目の哨戒日本海向かった8月11日夜、ジャラオは北緯38度03東経13312分 / 北緯38.050度 東経133.200度 / 38.050; 133.200の朝鮮半島江原道三渉北西海域貨物船帝北丸(元フランス船ペルセー、帝国船舶/三井船舶委託、5,795トン)を撃沈した8月15日戦争終了9月9日、ジャラオは51日間行動終えてアプラ港帰投その後9月28日サンフランシスコ到着した。ジャラオはメア・アイランド海軍造船所1946年9月30日退役し太平洋予備役艦隊入りした。

※この「第2、第3、第4の哨戒 1945年1月 - 9月」の解説は、「ジャラオ (潜水艦)」の解説の一部です。
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