第2、第3の哨戒 1943年5月 - 1944年1月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 20:45 UTC 版)
「ガンネル (潜水艦)」の記事における「第2、第3の哨戒 1943年5月 - 1944年1月」の解説
5月28日、ガンネルは2回目の哨戒で九州近海および東シナ海に向かった。6月15日未明、ガンネルは北緯33度55分 東経127度38分 / 北緯33.917度 東経127.633度 / 33.917; 127.633の巨文島の南東10海里の対馬海峡でレーダーにより目標を探知し、浮上しながら接近して魚雷を3本発射。1本が船尾に命中し、さらに魚雷を4本発射して1本が命中。この攻撃で輸送船光洋丸(大光商船、6,426トン)を撃沈した。4日後の6月19日朝には北緯32度30分 東経126度15分 / 北緯32.500度 東経126.250度 / 32.500; 126.250の済州島南西100カイリの水域で支第809船団を発見し、2隻の輸送船に対して魚雷を3本ずつ発射。8時25分に輸送船常盤丸(鏑木汽船、6,971トン)の左舷後部に魚雷を1本命中させて撃沈し、他の魚雷は2隻の陸軍輸送船、三池山丸(菅谷汽船、3,179トン)および宇賀丸(松岡汽船、4,433トン)に向かっていたが回避された。夜に入り浮上したところ、北緯32度40分 東経126度37分 / 北緯32.667度 東経126.617度 / 32.667; 126.617の地点でレーダーにより「若竹型駆逐艦」らしい目標を探知し、魚雷を2本発射して1本を命中させ、目標を撃沈したと判断される。このとき、敷設艇巨済は相前後してガンネルを発見しており、砲撃を行って相手を撃沈したと報告した。7月3日、ガンネルは31日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。のちにメア・アイランド海軍造船所に回航されてオーバーホールを受けた。哨戒中にトラブルが頻発したので、この際にH.O.R.エンジンからGM社製278Aエンジンへの換装を行っている。 11月17日、ガンネルは3回目の哨戒で日本近海に向かった。12月2日夜、ガンネルは北緯26度03分 東経147度50分 / 北緯26.050度 東経147.833度 / 26.050; 147.833の硫黄島近海でレーダーで6つの目標を探知する。やがて、空母瑞鳳、雲鷹、冲鷹、重巡洋艦摩耶を中心とする艦隊を発見。空母に対して魚雷を4本発射したが命中しなかった。2日後の12月4日、ガンネルは北緯29度36分 東経145度54分 / 北緯29.600度 東経145.900度 / 29.600; 145.900の父島北東およそ520キロの海域で第3201船団を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は特設運送船日吉丸(巴組汽船、4,046トン)に命中して撃沈した。12月22日にも北緯34度21分 東経138度39分 / 北緯34.350度 東経138.650度 / 34.350; 138.650の地点で2隻の大型輸送船を発見し、魚雷を3本発射する用意をしたが、結局発射しなかった。1944年1月7日、ガンネルは51日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
※この「第2、第3の哨戒 1943年5月 - 1944年1月」の解説は、「ガンネル (潜水艦)」の解説の一部です。
「第2、第3の哨戒 1943年5月 - 1944年1月」を含む「ガンネル (潜水艦)」の記事については、「ガンネル (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第2、第3の哨戒 1943年5月 - 1944年1月のページへのリンク