第2、第3の哨戒 1944年8月 - 1945年1月
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「カヴァラ (潜水艦)」の記事における「第2、第3の哨戒 1944年8月 - 1945年1月」の解説
8月30日、カヴァラは2回目の哨戒でルソン島近海に向かった。カヴァラはレザーバック (USS Razorback, SS-394) およびピラーニャ (USS Piranha, SS-389) とともにウルフパックを組み、9月7日から8日にかけてタナパグ湾(英語版)に立ち寄って給油を行う。当時、ウィリアム・ハルゼー大将率いる第3艦隊がパラオ攻略作戦の援護を企図しており、ハルゼー大将はフィリピンからカロリン諸島までの広大な海域を潜水艦で哨戒することを望んでいた。日本海軍の艦隊が出動することを念頭に置き、ハルゼー大将はフィリピンとペリリューの間にカヴァラを含む10隻の潜水艦を、日本海軍が採用したような二重の散開線を構成して配備させた。この散開線は俗に「ハルゼーの動物園」(あるいは単に Zoo )と呼ばれたが効果は全くなく、以後の作戦で二度と採用されることはなかった。「動物園」に参加したカヴァラ以下の潜水艦は、任務終了後ルソン海峡方面に移った。10月9日朝、カヴァラは北緯13度46分 東経118度28分 / 北緯13.767度 東経118.467度 / 13.767; 118.467の地点で15隻ほどの輸送船団、ミ19船団を発見する。護衛艦をかわして船団に接近し、北緯13度12分 東経118度21分 / 北緯13.200度 東経118.350度 / 13.200; 118.350の地点で魚雷を4本発射。やがて4つの爆発を確認するが、自身が発射した魚雷とは無関係で、魚雷は命中しなかったと判定された。夜から翌10月10日にかけて、カヴァラはベクーナ (USS Becuna, SS-319) とホークビル (USS Hawkbill, SS-366) から、カヴァラが攻撃したのと同じミ19船団への攻撃報告を受信した。10月21日、カヴァラは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 11月14日、カヴァラは3回目の哨戒でホー (USS Hoe, SS-258) およびバヤ (USS Baya, SS-318) とともにウルフパックを構成し、南シナ海、ルソン島近海に向かった。11月25日未明、カヴァラは北緯02度21分 東経107度20分 / 北緯2.350度 東経107.333度 / 2.350; 107.333のボルネオ島西方で那智型重巡洋艦と軽巡洋艦と思われる艦影を発見した。シンガポールからブルネイに向かっていた第三十一戦隊旗艦の駆逐艦霜月と随伴の駆逐艦桃に対してカヴァラは浮上したまま接近し、「那智型重巡洋艦」こと霜月に対し魚雷を4本発射。うち2本が4時45分に霜月に命中して大爆発の末に轟沈させ、第三十一戦隊司令官江戸兵太郎少将以下司令部職員は全員戦死し、霜月の乗員も46名しか生存しなかった。12月1日夜には北緯11度16分 東経111度58分 / 北緯11.267度 東経111.967度 / 11.267; 111.967の地点で「大和型戦艦を含む3隻の戦艦」、実際にはシンガポールから日本本土へ回航中の戦艦榛名と護衛の駆逐艦霞および初霜を探知して追跡を行い、翌12月2日未明に北緯11度35分 東経111度46分 / 北緯11.583度 東経111.767度 / 11.583; 111.767の地点で魚雷を4本発射したが、命中しなかった。12月10日以降はバヤ、ホーとともに南沙諸島方面に移動して哨戒を行うが、この方面では飛行機しか見なかった。1945年に入ってからカヴァラは南下し、1月5日夜には南緯05度00分 東経112度50分 / 南緯5.000度 東経112.833度 / -5.000; 112.833のジャワ海で、スラバヤからバリクパパンに向かう輸送船団を発見。カヴァラは浮上攻撃で魚雷を3本発射し、2隻の特設捕獲網艇、漢江丸(三光汽船、909トン)と春川丸(朝鮮郵船、971トン)に1本ずつ命中させて撃沈した。1月13日、カヴァラは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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