第2、第3の哨戒 1944年2月 - 7月
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「バットフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第2、第3の哨戒 1944年2月 - 7月」の解説
2月22日、バットフィッシュは2回目の哨戒で日本近海に向かった。しかし、この哨戒ではサンパンしか船を見ず、攻撃機会もなく戦果を挙げることはなかった。4月15日、バットフィッシュは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投。整備を受け、5月10日に3回目の哨戒の準備のためにミッドウェー島に向けて出港。14日に到着した。翌15日、突然メリル艦長は艦長の任を解かれ、後任の艦長にはジョン・K・ファイフ(アナポリス1936年組)が就任した。乗組員のケイン・ムティニーが最初の哨戒でのメリル艦長の不甲斐なさを司令部に報告し、司令部スタッフのヒンソンがそれを受理したのであった。解任されたメリル艦長は、再び潜水艦部隊には戻ってこなかった。 5月26日、バットフィッシュは3回目の哨戒で日本近海に向かった。6月22日、バットフィッシュは北緯34度36分 東経137度56分 / 北緯34.600度 東経137.933度 / 34.600; 137.933の地点で長良川丸(日下部汽船、886トン)を撃沈。7月1日にもマリアナ諸島方面の北緯31度26分 東経141度11分 / 北緯31.433度 東経141.183度 / 31.433; 141.183で特設監視艇神威丸(三重県、138トン)と小型貨物船第五五十鈴川丸(大西盛、226トン)を撃沈した。7月7日、バットフィッシュは43日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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