第2、第3の哨戒 1942年1月 - 5月
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「ソードフィッシュ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第2、第3の哨戒 1942年1月 - 5月」の解説
1月16日、ソードフィッシュは2回目の哨戒でセレベス海およびフィリピン方面に向かった。1月24日、ソードフィッシュはセレベス島マナド近海で特設砲艦妙見丸(東亜海運、4,124トン)を撃沈。「妙見丸」をはずした不発魚雷1本は日本軍飛行艇基地に飛びこみ、回収・調査された。対潜哨戒にあたっていた日辻常雄大尉(九七式飛行艇機長)は、日本軍飛行艇基地に侵入しチャンスを伺っていたソードフィッシュを賞賛している。2月20日、ソードフィッシュはルソン島のマリベレス湾入り口で潜航し、日没後に浮上。コレヒドール島から脱出していたフィリピンのマニュエル・ケソン大統領一家を乗艦させた。ソードフィッシュは機雷原を超えて、2月22日にパナイ島のサンホセに到着した。ケソン大統領とその一行はここで哨戒艇母艦に移乗した。ソードフィッシュはマニラ湾に戻り、フランシス・ボウズ・セイアー高等弁務官を乗艦させ脱出。3月9日、ソードフィッシュは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 4月1日、ソードフィッシュは3回目の哨戒でコレヒドール島に向かった。この哨戒では、包囲されたコレヒドール島に対して40トンの食糧を送り届ける任務も与えられていた。しかしながら、任務が完了してソードフィッシュがアンボン島付近の哨戒を命じられる前に、コレヒドール島は5月6日に日本軍の手に落ちた。この哨戒で発見できた船は1隻のみで、しかも射程外であった。5月1日、ソードフィッシュは31日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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