第2、第3の哨戒 1942年1月 - 5月とは? わかりやすく解説

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第2、第3の哨戒 1942年1月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 14:33 UTC 版)

ソードフィッシュ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第2、第3の哨戒 1942年1月 - 5月」の解説

1月16日ソードフィッシュ2回目の哨戒セレベス海およびフィリピン方面向かった1月24日ソードフィッシュセレベス島マナド近海特設砲艦妙見丸(東亜海運、4,124トン)を撃沈。「妙見丸」をはずした不発魚雷1本は日本軍飛行艇基地飛びこみ、回収調査された。対潜哨戒にあたっていた日辻常雄大尉(九七式飛行艇機長)は、日本軍飛行艇基地侵入しチャンス伺っていたソードフィッシュ賞賛している。2月20日ソードフィッシュルソン島のマリベレス湾入り口で潜航し日没後に浮上コレヒドール島から脱出していたフィリピンマニュエル・ケソン大統領一家乗艦させた。ソードフィッシュ機雷原超えて2月22日パナイ島サンホセ到着したケソン大統領とその一行はここで哨戒艇母艦移乗した。ソードフィッシュマニラ湾戻りフランシス・ボウズ・セイアー高等弁務官乗艦させ脱出3月9日ソードフィッシュ52日間行動終えてフリーマントル帰投した。 4月1日ソードフィッシュ3回目の哨戒コレヒドール島向かった。この哨戒では、包囲されコレヒドール島に対して40トン食糧送り届ける任務与えられていた。しかしながら任務完了してソードフィッシュアンボン島付近哨戒命じられる前にコレヒドール島5月6日日本軍の手落ちた。この哨戒発見できた船は1隻のみで、しかも射程であった5月1日ソードフィッシュ31日間の行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第2、第3の哨戒 1942年1月 - 5月」の解説は、「ソードフィッシュ (サーゴ級潜水艦)」の解説の一部です。
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