第2、第3の哨戒 1942年11月 - 1943年4月
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「キングフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第2、第3の哨戒 1942年11月 - 1943年4月」の解説
11月25日、キングフィッシュは2回目の哨戒で東シナ海に向かった。小笠原諸島、父島近海を抜けるルートを航行中の12月7日午後、キングフィッシュは北緯23度18分 東経138度20分 / 北緯23.300度 東経138.333度 / 23.300; 138.333の地点で特設運送船第三日の丸(日の丸汽船、4,391トン)を発見し、潜航して魚雷を3本発射するが命中せず、浮上して魚雷をもう1本発射するが、これも命中しなかった。レーダーで追跡ののち、夜に入ってさらに魚雷を2本発射し、2本とも第三日の丸のウェルデッキ部に命中してようやく撃沈した。翌12月8日午後にも北緯23度54分 東経136度00分 / 北緯23.900度 東経136.000度 / 23.900; 136.000の地点で推定14ノットで航行する2隻の輸送船を発見して魚雷を3本発射するが、計算ミスにより命中しなかった。12月12日に火焼島近海に到達し、台湾東岸を北上して台湾海峡北方に出る。12月17日午前、キングフィッシュは北緯25度04分 東経120度59分 / 北緯25.067度 東経120.983度 / 25.067; 120.983の地点で輸送船福山丸(会陽汽船、3,581トン)に対して魚雷を3本発射したが、この攻撃は失敗した。攻撃後、キングフィッシュは廈門近海を経て香港と高雄間の交通路に移動した。12月22日未明には4隻の輸送船を発見し、「夜間浮上攻撃の絶好機」と見て取り、浮上攻撃で4,000トン級輸送船に対して魚雷を2本発射したが命中しなかった。12月28日夜、キングフィッシュは北緯25度05分 東経120度59分 / 北緯25.083度 東経120.983度 / 25.083; 120.983の台湾北方海域で輸送船朝陽丸(大連汽船、5,308トン)を発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかったため、もう3本発射して1本命中させて撃沈した。2日後の12月30日には北緯25度29分 東経122度14分 / 北緯25.483度 東経122.233度 / 25.483; 122.233の地点で2,500トン級貨客船を発見し、魚雷を1本だけ発射したが命中しなかった。1943年1月7日、キングフィッシュは北緯25度29分 東経122度14分 / 北緯25.483度 東経122.233度 / 25.483; 122.233の地点で2隻の特設監視艇から射撃を受け、最初の船は3インチ砲と20ミリ機銃で蜂の巣にして炎上させ、2番目の船は砲撃で撃沈した。1月23日、キングフィッシュは58日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 2月16日、キングフィッシュは3回目の哨戒で東シナ海に向かった。3月4日朝、キングフィッシュは北緯24度23分 東経143度18分 / 北緯24.383度 東経143.300度 / 24.383; 143.300の小笠原諸島海域でトロール船を3インチ砲と20ミリ機銃による攻撃で撃沈。3月10日午後には、北緯22度12分 東経120度31分 / 北緯22.200度 東経120.517度 / 22.200; 120.517の地点で駆逐艦に護衛され15ノットでパラオに向かっていた特設巡洋艦清澄丸(国際汽船、8,613トン)を発見して魚雷を3本発射したが命中しなかった。夕方まで続いた爆雷攻撃をしのいだ後、哨戒を続ける。3月15日午後、キングフィッシュは北緯25度33分 東経121度53分 / 北緯25.550度 東経121.883度 / 25.550; 121.883の地点で、3機の航空機の直衛を配して航行する台湾航路貨客船富士丸(日本郵船、9,138トン)を発見し、魚雷を3本発射したがこれも命中しなかった。敷設艇測天や航空機が爆雷攻撃を行った時、キングフィッシュは海中で息を潜めて攻撃が止むのを待っていた。3月17日夜、キングフィッシュは北緯24度30分 東経120度09分 / 北緯24.500度 東経120.150度 / 24.500; 120.150の地点で海軍徴傭船天龍川丸(東洋海運、3,883トン)を追跡の上、艦首と幹部の発射管から魚雷を計4本発射し、うち2本が命中して天龍川丸は航行不能に陥った。 2日後の3月19日朝、キングフィッシュは北緯25度50分 東経122度30分 / 北緯25.833度 東経122.500度 / 25.833; 122.500の基隆沖彭佳嶼北東125キロの地点で、15ノットの速力でジグザグ航行しながら南下してくる1隻の客船を発見した。この客船は乗客913名を乗せて門司から基隆に向かっていた台湾航路貨客船高千穂丸(大阪商船、8,154トン)であったが、キングフィッシュの元には、かねてから「フィリピン増援の軍隊を乗せた重要船が担当海域を通過する」との情報が入っており、キングフィッシュは「これが件の重要船」と判断して9時30分に魚雷4本を発射し、1本は逸れたが、2本が高千穂丸の右舷船倉と右舷船尾付近に命中し、9時39分に高千穂丸は急速に沈没していった。高千穂丸撃沈から2日後の3月21日夜、キングフィッシュは北緯25度58分 東経122度18分 / 北緯25.967度 東経122.300度 / 25.967; 122.300の地点で特設砲艦長白山丸(朝鮮郵船、2,231トン)に対して浮上したまま魚雷を3本発射したが、攻撃は失敗。攻撃に気付いた長白山丸はキングフィッシュを見失いながらも爆雷攻撃を実施したが、キングフィッシュは浮上状態のまま脱出に成功した。その2日後の3月23日早朝4時30分、キングフィッシュはなおも台湾沖で浮上哨戒を続けていたが、今度は高千穂丸沈没で付近を警戒していた測天に発見された。キングフィッシュは急速潜航して逃れようとしたが、測天の通報で長白山丸に加えて馬公から特設駆潜艇4隻が潜伏推定海域に急行し、爆雷攻撃を実施した。キングフィッシュは一瞬艦首を海面上に晒したものの、90メートルの深度まで潜航した。しかし、至近距離で炸裂した爆雷が多く、爆発により推進機軸が湾曲し異音が出た。また重油も漏れ出し、電気系統もことごとく破壊され、周辺にいた乗組員が電気ショックで負傷した。推進機軸を包んでいたパッキングも、湾曲による摩擦で火災を起こした。爆雷攻撃は16時間に及び、8回にわたる攻撃で投下された爆雷は68発を数えた。測天、長白山丸らは多量に噴出した気泡や重油を見たのち、3月25日まで捜索を続けたが、海中からの反応がないことから撃沈と判断した。辛くも攻撃から逃れたキングフィッシュは夕方に用心しつつ浮上し、全速力でこの海域を去った。乗組員は互いの無事を喜びあった。4月9日、キングフィッシュは52日間の行動を終えて真珠湾に帰投。本土のメア・アイランド海軍造船所に回航されて、艦全体に及ぶ大規模な修理を実施した。キングフィッシュは6月23日に真珠湾に戻ってきた。
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