第2、第3、第4の哨戒 1942年4月 - 11月
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「ガー (潜水艦)」の記事における「第2、第3、第4の哨戒 1942年4月 - 11月」の解説
4月19日、ガーは2回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。この哨戒では、4月28日からクェゼリン環礁ギー水道沖で哨戒を行い、5月3日には輸送船に対して魚雷を発射したが命中しなかった。翌5月4日にもギー水道沖で輸送船を発見して魚雷を2本発射し、1本が命中。爆雷攻撃を受けたものの被害は無かった。5月17日、ガーは北緯07度15分 東経151度09分 / 北緯7.250度 東経151.150度 / 7.250; 151.150のトラック西方で9,000トン級輸送船とQシップを発見し、Qシップに魚雷を命中させたと判断された。6月8日、ガーは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 7月3日、ガーは3回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった。ボルネオ島、アナンバス諸島およびマレー半島を結ぶ海域で、シンガポールに出入りする航路を哨戒。この哨戒で唯一見た船は、7月28日に目撃した5,000トン級病院船だった。8月21日、ガーは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 9月17日、ガーは4回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった。この哨戒では、機雷敷設の任務も与えられていた。10月12日、ガーはプロカンビア島近海の地点で敵潜水艦を発見したが、追跡中に見失った。10月20日未明、ガーは北緯12度35分 東経100度50分 / 北緯12.583度 東経100.833度 / 12.583; 100.833のタイランド湾の最北部、バンコクにつながる海域に32個の機雷を予定通り敷設。これは、以前にアメリカ潜水艦によってパトロールされた重要な日本の航路を妨害する戦略の一環として行われ、以後潜水艦による機雷敷設作戦は戦争末期までしばしば行われた。10月31日には南緯04度15分 東経117度56分 / 南緯4.250度 東経117.933度 / -4.250; 117.933の地点で貨物船を発見したが、5マイル先にあったため攻撃しなかった。11月7日、ガーは51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がフィリップ・D・クィーク少佐(アナポリス1932年組)に代わった。
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