第2、第3、第4の哨戒 1942年2月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第2、第3、第4の哨戒 1942年2月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 14:30 UTC 版)

サーゴ (潜水艦)」の記事における「第2、第3、第4の哨戒 1942年2月 - 8月」の解説

2月5日サーゴ2回目の哨戒ミンダナオ島近海向かった出航前、サーゴスラバヤ残り魚雷と3インチ砲弾225発を降ろしフィリピン連合軍部隊が必要とする30口径砲弾搭載して出航した2月14日ミンダナオ島ポロック英語版)に到着して50トン弾薬砲弾届けた後、サーゴクラーク基地から脱出してきた24名の航空機パイロット乗せた2月22日サーゴ25日間の行動終えてスラバヤ帰投。しかし、日本軍の進撃はいまだ止まず刻一刻ジャワ島迫っていた。2月25日サーゴジャワ脱出する31名の乗客乗せてオーストラリア向かった3月4日サーゴフリーマントル沖で日本軍潜水艦誤認され連合軍機による攻撃を受け、爆弾近距離爆発し小破した。3月5日サーゴフリーマントル入港艦長リチャード・V・グレゴリー少佐アナポリス1932年組)に代わった。当初2月25日から3月5日航海3回目の哨戒として扱われていたが、最終的に哨戒としては扱われなかった。 3月16日サーゴ3回目の哨戒インドシナ半島方面向かったバラバク海峡抜けてボルネオ島北岸海域到着しインドシナ半島沿岸部シンガポール台湾航路哨戒した。哨戒間中4月14日に8,000トン武装商船と5,000トン貨物船対し4月15日にはヴィシー政権側の商船に対してそれぞれ攻撃敢行したが、どちらも戦果はなかった。5月7日サーゴ52日間行動終えてフリーマントル帰投した。 6月8日サーゴ4回目の哨戒南シナ海向かったマレー半島からタイランド湾哨戒し、7月8日マカッサル海峡小型タンカー1隻に対す攻撃行ったもののそれ以外戦闘はなく、目立った戦果挙げられなかった。8月2日サーゴ56日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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