第2、第3、第4の哨戒 1942年2月 - 8月
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「サーゴ (潜水艦)」の記事における「第2、第3、第4の哨戒 1942年2月 - 8月」の解説
2月5日、サーゴは2回目の哨戒でミンダナオ島近海に向かった。出航前、サーゴはスラバヤで残りの魚雷と3インチ砲弾225発を降ろし、フィリピンの連合軍部隊が必要とする30口径砲弾を搭載して出航した。2月14日にミンダナオ島ポロック(英語版)に到着して50トンの弾薬や砲弾を届けた後、サーゴはクラーク基地から脱出してきた24名の航空機パイロットを乗せた。2月22日、サーゴは25日間の行動を終えてスラバヤに帰投。しかし、日本軍の進撃はいまだ止まず、刻一刻とジャワ島に迫っていた。2月25日、サーゴはジャワを脱出する31名の乗客を乗せてオーストラリアに向かった。3月4日、サーゴはフリーマントル沖で日本軍潜水艦と誤認され連合軍機による攻撃を受け、爆弾が近距離で爆発し小破した。3月5日、サーゴはフリーマントルに入港。艦長がリチャード・V・グレゴリー少佐(アナポリス1932年組)に代わった。当初、2月25日から3月5日の航海は3回目の哨戒として扱われていたが、最終的には哨戒としては扱われなかった。 3月16日、サーゴは3回目の哨戒でインドシナ半島方面に向かった。バラバク海峡を抜けてボルネオ島北岸海域に到着し、インドシナ半島沿岸部でシンガポールと台湾間航路を哨戒した。哨戒期間中、4月14日に8,000トン級武装商船と5,000トン級貨物船に対し、4月15日にはヴィシー政権側の商船に対してそれぞれ攻撃を敢行したが、どちらも戦果はなかった。5月7日、サーゴは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 6月8日、サーゴは4回目の哨戒で南シナ海に向かった。マレー半島からタイランド湾を哨戒し、7月8日にマカッサル海峡で小型タンカー1隻に対する攻撃を行ったもののそれ以外の戦闘はなく、目立った戦果も挙げられなかった。8月2日、サーゴは56日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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