第2、第3、第4の哨戒 1943年12月 - 1944年6月
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「セロ (潜水艦)」の記事における「第2、第3、第4の哨戒 1943年12月 - 1944年6月」の解説
12月13日、セロは2回目の哨戒でトラック諸島およびニューギニア方面に向かった。トラックとカビエン間の航路を哨戒し、12月23日には北緯03度10分 東経150度45分 / 北緯3.167度 東経150.750度 / 3.167; 150.750の地点で「愛宕型重巡洋艦」を発見し追跡を行うが、駆逐艦と航空機の出現により追跡は継続できなかった。この哨戒で攻撃機会はなく、哨戒終了後はミルン湾に行くよう命令された。1944年1月12日、セロは29日間の行動を終えてミルン湾に帰投した。 2月4日、セロは3回目の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。2月16日午後、セロは北緯00度10分 東経147度34分 / 北緯0.167度 東経147.567度 / 0.167; 147.567の地点で6,000トン級輸送船と2隻の護衛艦を発見。追跡の上、日付が2月17日になってから北緯00度53分 東経146度26分 / 北緯0.883度 東経146.433度 / 0.883; 146.433の地点で魚雷を4本発射し、1本を海軍徴傭船常山丸(拿捕船、1,086トン)に命中させて撃沈した。翌2月18日午前にも北緯02度43分 東経143度48分 / 北緯2.717度 東経143.800度 / 2.717; 143.800の地点で輸送船団を発見したが、顔ぶれは前日に攻撃した船団に酷似していた。近在のピート (USS Peto, SS-265) と連携して1日以上かけて船団を追跡し、2月19日夜に北緯03度22分 東経138度28分 / 北緯3.367度 東経138.467度 / 3.367; 138.467の地点で「浄宝縷丸級輸送船」に対して魚雷を6本発射。魚雷は2本が命中して目標は沈没したと判断された。2月21日午前にも南緯00度18分 東経139度42分 / 南緯0.300度 東経139.700度 / -0.300; 139.700の地点で8,600トン級輸送船と6,000トン級輸送船からなる輸送船団を発見し、午前に2つの目標に対して魚雷を6本発射して1つの命中を確認する。午後にも8,600トン級輸送船に対して魚雷を3本発射し、1つの命中を確認したが損傷どまりであると判断された。この8,600トン級輸送船は行き足を止め、セロは2月22日早朝に三度目の攻撃で魚雷を4本発射したが、目標が止まって爆発音も聴取したにもかかわらず魚雷は命中しなかった。一連の攻撃で、陸軍輸送船八州丸(朝鮮郵船、2,655トン)が損傷した。2月27日、セロは23日間の行動を終えてミルン湾に帰投。翌日出港してブリスベンに回航され、3月2日に到着した。 4月3日、セロは4回目の哨戒でレイ (USS Ray, SS-271) とともにパラオ方面に向かった。4月8日から10日までは、ホーランジアの戦いに先立ってタナメラ湾に偵察部隊を送り込む特別任務に就く。特別任務の終了後は、1ヵ月以上も好目標になかなかめぐり合わなかったが、5月21日に北緯00度15分 東経128度59分 / 北緯0.250度 東経128.983度 / 0.250; 128.983の地点で中型輸送船と護衛艦を発見し、魚雷を4本発射して1つの命中を確認する。2日後の5月23日朝、セロは北緯02度38分 東経128度08分 / 北緯2.633度 東経128.133度 / 2.633; 128.133のモロタイ島西方海域カウ湾口で、セブ島からハルマヘラ島に向かうH26船団を発見。H26船団に対しては前日5月22日にレイが攻撃を行い、輸送船天平丸(白洋汽船、6,094トン)を撃沈していた。7時32分、セロは船団に対して魚雷を6本発射し、輸送船大順丸(大阪商船、2,825トン)に1本が命中して、大順丸は曳航の甲斐なく爆発して沈没。また、レイと共同でタンカー建和丸(日東汽船、6,384トン)を撃破した。6月2日、セロは60日間の行動を終えてマヌス島ゼーアドラー湾に帰投した。
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