第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年4月とは? わかりやすく解説

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第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:15 UTC 版)

レイトン (潜水艦)」の記事における「第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年4月」の解説

12月11日レイトン2回目の哨戒ハルマヘラ島ミンダナオ島およびセレベス海方面向かった12月24日未明レイトン北緯0245分 東経12741分 / 北緯2.750度 東経127.683度 / 2.750; 127.683のハルマヘラ島北端カオ湾で2隻の護衛艦配する目標探知し魚雷を6本発射次いで艦尾発射管からも魚雷を4本発射する魚雷海軍徴傭船へいわ丸(三井船舶、5,579トン)に命中し大破させ、航行不能となったへいわ丸はハルマヘラ島海岸座礁して放棄された。1944年1月2日明け方パラオ航路進出したレイトンは、北緯0818東経12959分 / 北緯8.300度 東経129.983度 / 8.300; 129.983の地点吹雪型駆逐艦思しき護衛艦のついた2隻のタンカー発見浮上して追跡の上魚雷を6本発射して3本タンカー命中するのが見えた。しかし、護衛艦反撃効果的2度目攻撃はできなかった。この攻撃で、特設運送船給油あけぼの丸石原汽船10,121トン)を撃破した1月8日には北緯0110東経12145分 / 北緯1.167度 東経121.750度 / 1.167; 121.750の地点小型輸送船発見し魚雷を4本発射した命中せず爆雷攻撃にあって退散したレイトン1月19日哨戒海域を後にした。1月25日レイトン45日間行動終えてフリーマントル帰投潜水母艦ペリアス英語版) (USS Pelias, AS-14) による修理受けた2月18日レイトン3回目の哨戒ジャワ海カリマタ海峡および南シナ海向かった2月25日午後レイトンラッシャー (USS Rasher, SS-269) と会合し直後に2隻の輸送船接近察知したが、位置関係からラッシャー攻撃委ねラッシャー輸送船丹後丸(拿捕船、6,200トン)と陸軍輸送船西丸中村汽船、4,805トン)を撃沈した。この哨戒では、魚雷発射する機会はなかった。4月14日レイトン45日間行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年4月」の解説は、「レイトン (潜水艦)」の解説の一部です。
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