第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年4月
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「レイトン (潜水艦)」の記事における「第2、第3の哨戒 1943年12月 - 1944年4月」の解説
12月11日、レイトンは2回目の哨戒でハルマヘラ島、ミンダナオ島およびセレベス海方面に向かった。12月24日未明、レイトンは北緯02度45分 東経127度41分 / 北緯2.750度 東経127.683度 / 2.750; 127.683のハルマヘラ島北端カオ湾で2隻の護衛艦を配する目標を探知し、魚雷を6本発射。次いで艦尾発射管からも魚雷を4本発射する。魚雷は海軍徴傭船へいわ丸(三井船舶、5,579トン)に命中し大破させ、航行不能となったへいわ丸はハルマヘラ島の海岸に座礁して放棄された。1944年1月2日明け方、パラオ航路に進出したレイトンは、北緯08度18分 東経129度59分 / 北緯8.300度 東経129.983度 / 8.300; 129.983の地点で吹雪型駆逐艦と思しき護衛艦のついた2隻のタンカーを発見。浮上しての追跡の上、魚雷を6本発射して3本がタンカーに命中するのが見えた。しかし、護衛艦の反撃が効果的で2度目の攻撃はできなかった。この攻撃で、特設運送船(給油)あけぼの丸(石原汽船、10,121トン)を撃破した。1月8日には北緯01度10分 東経121度45分 / 北緯1.167度 東経121.750度 / 1.167; 121.750の地点で小型輸送船を発見し、魚雷を4本発射したが命中せず、爆雷攻撃にあって退散した。レイトンは1月19日に哨戒海域を後にした。1月25日、レイトンは45日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。潜水母艦ペリアス(英語版) (USS Pelias, AS-14) による修理を受けた。 2月18日、レイトンは3回目の哨戒でジャワ海、カリマタ海峡および南シナ海に向かった。2月25日午後、レイトンはラッシャー (USS Rasher, SS-269) と会合し、直後に2隻の輸送船の接近を察知したが、位置関係からラッシャーに攻撃を委ね、ラッシャーは輸送船丹後丸(拿捕船、6,200トン)と陸軍輸送船隆西丸(中村汽船、4,805トン)を撃沈した。この哨戒では、魚雷を発射する機会はなかった。4月14日、レイトンは45日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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