第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月
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「ポラック (潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月」の解説
12月13日、ポラックは最初の哨戒でガジョン (USS Gudgeon, SS-211) およびプランジャー (USS Plunger, SS-179) と共に日本近海に向かった。ポラックは12月31日の真夜中の数時間前に本州沖に到着し、戦時において日本海域に到着した初のアメリカ海軍艦艇となった。1942年1月3日朝、ポラックは北緯35度00分 東経140度20分 / 北緯35.000度 東経140.333度 / 35.000; 140.333の地点で貨客船泰山丸(東亜海運、3,925トン)に対して魚雷を1本発射するも命中しなかった。2日後の1月5日夜には伊豆大島東岸沖で特設砲艦平壌丸(朝鮮郵船、2,627トン)に対して魚雷を発射して艦首に魚雷を命中させたが、平壌丸は沈没せず自力航行で横須賀に入港した。2日後の1月7日朝には伊豆諸島神子元島東南東で特設給炭船第一雲海丸(中村汽船、2,225トン)に魚雷を命中させ、第一雲海丸は船体の一部を亡失し、残りは犬吠埼近海まで漂流したのち、4日後の1月11日に爆撃処分された。これは太平洋艦隊潜水艦部隊による公式に確認された初の撃沈の戦果となった。第一雲海丸が未だ漂流を続けていた1月9日未明には、房総半島勝浦灯台沖で貨物船帝安丸(帝国船舶、5,387トン/元伊船Venezia Giulia)を夜間浮上して攻撃、撃沈した。1月21日、ポラックは39日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 2月18日、ポラックは2回目の哨戒で台湾海峡および東シナ海方面に向かった。哨戒海域では台湾海峡から長崎へ向かう貨物船を攻撃した。3月10日深夜から翌11日朝にかけて、ポラックは北緯30度45分 東経126度25分 / 北緯30.750度 東経126.417度 / 30.750; 126.417の上海東方270海里の海域で福州丸(北日本汽船、1,454トン)に複数の攻撃を行って撃沈し、砲撃で陸軍船ばいかる丸(東亜海運、5,243トン)に損傷を与えた。4月8日、ポラックは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 4月30日、ポラックは3回目の哨戒で日本近海に向かった。日本の本州沖で巡航したポラックは、5月12日に特設監視艇と浮上砲戦を行った。敵の船尾に命中弾を与え、敵艦は炎上した。帰途にミッドウェー海戦に参加。6月16日、ポラックは45日間の行動を終えて真珠湾に帰投。4ヵ月間のオーバーホールに入った。艦長がロビー・E・パルマー少佐(アナポリス1927年組)に代わった。
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