第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月の意味・解説 

第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:44 UTC 版)

ポラック (潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月」の解説

12月13日ポラック最初哨戒でガジョン (USS Gudgeon, SS-211) およびプランジャー (USS Plunger, SS-179) と共に日本近海向かったポラック12月31日真夜中数時間前に本州沖に到着し戦時において日本海域に到着した初のアメリカ海軍艦艇となった1942年1月3日朝、ポラック北緯3500東経140度20分 / 北緯35.000度 東経140.333度 / 35.000; 140.333の地点貨客船泰山丸(東亜海運、3,925トンに対して魚雷を1本発射する命中しなかった。2日後1月5日夜に伊豆大島東岸沖で特設砲艦平壌丸(朝鮮郵船、2,627トンに対して魚雷発射して艦首魚雷命中させたが、平壌丸は沈没せず自力航行横須賀入港した2日後1月7日朝には伊豆諸島神子元島東南東特設給炭船第一雲海丸(中村汽船、2,225トン)に魚雷命中させ、第一雲海丸は船体一部亡失し、残り犬吠埼近海まで漂流したのち、4日後の1月11日爆撃処分された。これは太平洋艦隊潜水艦部隊による公式に確認された初の撃沈戦果となった第一雲海丸が未だ漂流続けていた1月9日未明には、房総半島勝浦灯台沖で貨物船帝安丸(帝国船舶、5,387トン/元伊船Venezia Giulia)を夜間浮上して攻撃撃沈した1月21日ポラック39日間行動終えて真珠湾帰投した。 2月18日ポラック2回目の哨戒台湾海峡および東シナ海方面向かった哨戒海域では台湾海峡から長崎へ向かう貨物船攻撃した3月10日深夜から翌11日朝にかけて、ポラック北緯3045分 東経12625分 / 北緯30.750度 東経126.417度 / 30.750; 126.417の上海東270海里海域福州丸(北日本汽船、1,454トン)に複数攻撃行って撃沈し砲撃陸軍ばいかる丸東亜海運、5,243トン)に損傷与えた4月8日ポラック49日間の行動終えて真珠湾帰投した。 4月30日ポラック3回目の哨戒日本近海向かった日本本州沖で巡航したポラックは、5月12日特設監視艇浮上砲戦行った。敵の船尾命中弾を与え敵艦炎上した帰途ミッドウェー海戦参加6月16日ポラック45日間行動終えて真珠湾帰投。4ヵ月間のオーバーホール入った艦長ロビー・Eパルマー少佐アナポリス1927年組)に代わった。

※この「第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月」の解説は、「ポラック (潜水艦)」の解説の一部です。
「第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月」を含む「ポラック (潜水艦)」の記事については、「ポラック (潜水艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月」の関連用語

第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第1、第2、第3の哨戒 1941年12月 - 1942年6月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのポラック (潜水艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS