第1、第2、第3の哨戒 1943年9月 - 1944年1月
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「ブルーフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1943年9月 - 1944年1月」の解説
9月9日、ブルーフィッシュは最初の哨戒でジャワ海、セレベス海方面に向かった。9月18日、ブルーフィッシュは南緯05度38分 東経120度48分 / 南緯5.633度 東経120.800度 / -5.633; 120.800の地点で2本マストのスクーナーと2隻の小型帆船を発見し、浮上砲戦でスクーナーを炎上させた。9月21日午後には南緯03度58分 東経122度54分 / 南緯3.967度 東経122.900度 / -3.967; 122.900のケンダリ近海で10,000トン級貨客船を発見し、魚雷を4本発射して2つの爆発を確認したが、目標はそのまま北上していった。9月25日朝、ブルーフィッシュは南緯06度22分 東経118度55分 / 南緯6.367度 東経118.917度 / -6.367; 118.917の地点で2隻の護衛艦が配された輸送船団を発見し、魚雷を4本発射して1本が目標に命中する。直ちに反転して艦首発射管から魚雷を6本発射し、2本を目標に命中させた。一連の攻撃で陸軍輸送船明石丸(三井船舶、3,227トン)に魚雷が1本命中した。2日後の9月27日未明、ブルーフィッシュは南緯05度45分 東経121度50分 / 南緯5.750度 東経121.833度 / -5.750; 121.833のアンボン南西190海里の地点で、アンボンからセレベス島ポマラ(インドネシア語版)に向かっていた特設運送船北陸丸(大阪商船、8,359トン)と、北陸丸を護衛中の水雷艇鵲を発見し、北陸丸に対して魚雷を6本発射したが、魚雷は鵲の左舷中部に命中してこれを撃沈。ブルーフィッシュは第二撃で改めて北陸丸に対して魚雷を2本発射し、1つの爆発音を聴取した。9月28日夜には第4号掃海特務艇と水雷艇雉に護衛されていた明石丸を再度発見し、南緯06度05分 東経125度55分 / 南緯6.083度 東経125.917度 / -6.083; 125.917の地点に至って浮上攻撃により魚雷を2本発射して2本とも明石丸に命中し、明石丸は爆発を起こして沈没した。ブルーフィッシュはこの攻撃で魚雷を使い果たしたため哨戒を打ち切った。10月4日、ブルーフィッシュは25日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 10月26日、ブルーフィッシュは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。11月6日夜、ブルーフィッシュは北緯10度40分 東経115度15分 / 北緯10.667度 東経115.250度 / 10.667; 115.250の地点で遠方に輸送船団、11月3日にシンガポールを出港し門司に向かっていたヒ14船団を発見する。いったんは見失うも、翌11月7日午後に再度発見して船団の全貌をおおよそつかむ事ができた。11月8日朝、ブルーフィッシュは北緯16度44分 東経116度22分 / 北緯16.733度 東経116.367度 / 16.733; 116.367の南沙諸島東方に至ったところで浮上攻撃を仕掛け、先頭船、五番船および六番船に対して、艦首と艦尾の両発射管を使って魚雷を計10本発射し、全て命中させたと判断される。1時間後に二度目の攻撃で後落したタンカーに対して魚雷を4本発射したが、1本は命中したものの不発で2本は命中せず、残る1本が命中しただけだった。三度目の攻撃で魚雷を2本発射して1本を命中させ、四度目の攻撃でも魚雷を2本発射し2本とも命中させた。ブルーフィッシュはこの一連の攻撃でタンカー旭栄丸(日東汽船、10,571トン)を撃沈した。11月18日午前には北緯05度06分 東経123度39分 / 北緯5.100度 東経123.650度 / 5.100; 123.650の地点でパラオからバリクパパンに向かっていた第2513船団を発見し、深夜まで追跡の上、北緯04度52分 東経122度07分 / 北緯4.867度 東経122.117度 / 4.867; 122.117のバシラン島沖に至ったところで駆逐艦早苗と特務艦隠戸に対して魚雷を4本、隠戸に対して魚雷をさらに2本発射。魚雷は3本が早苗に、1本が隠戸に命中して早苗は沈没し、隠戸は中破して行き足を止めた。ブルーフィッシュは、またもや魚雷を早々に使い果たした。11月26日、ブルーフィッシュは32日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 12月20日、ブルーフィッシュは3回目の哨戒でラッシャー (USS Rasher, SS-269) とともに南シナ海、タイランド湾方面に向かった。12月30日夕刻、ブルーフィッシュは南緯02度45分 東経109度10分 / 南緯2.750度 東経109.167度 / -2.750; 109.167のカリマタ海峡でタンカー一宇丸(共同企業、5,061トン)を発見し、魚雷を5本発射して全て命中させて撃沈した。1944年1月2日から3日未明にかけては、北緯04度50分 東経103度33分 / 北緯4.833度 東経103.550度 / 4.833; 103.550を中心とするマレー半島東岸ドゥングン(英語版)とテンゴール島(英語版)間の海域に機雷を11個敷設。1月4日午後、ブルーフィッシュはラッシャーと会合する。会合の後ラッシャーと別れてから約2時間半後、ラッシャーから敵発見の報告がもたらされ、すぐさまその方角に移動する。ラッシャーの攻撃に起因すると思われる何度かの爆発を確認しつつ目標に接近し、21時ごろから北緯07度00分 東経107度30分 / 北緯7.000度 東経107.500度 / 7.000; 107.500のナトゥナ諸島北北東沖でミリからサンジャックに向かっていたタンカー船団に対する浮上攻撃を開始する。最初の攻撃目標をタンカー八紘丸(帝国船舶所有/共同企業運航、6,046トン)と応急タンカー崑山丸(大連汽船、2,733トン)とし、元はアメリカで建造された八紘丸に対して魚雷を4本、崑山丸に対して魚雷を2本発射。魚雷は八紘丸に2本が命中したと思われ、ブルーフィッシュは掃射ののち潜航と反転行い、手負いの八紘丸に対する第二撃で魚雷を2本発射して1つの命中音を確認。八紘丸は北緯07度05分 東経108度30分 / 北緯7.083度 東経108.500度 / 7.083; 108.500の地点で瞬時に爆沈し、ラッシャーがその様子を確認していた。再浮上の後、ラッシャーが特設運送船(給油)紀洋丸(浅野物産、7,251トン)を撃沈する様子を見届けた後、北緯07度16分 東経108度34分 / 北緯7.267度 東経108.567度 / 7.267; 108.567の地点で崑山丸に対して魚雷を5本発射するが命中せず、日付が1月5日に変わってから北緯07度40分 東経108度25分 / 北緯7.667度 東経108.417度 / 7.667; 108.417の地点で魚雷をさらに3本発射したが、これも命中しなかった。攻撃後、八紘丸と紀洋丸の沈没地点に戻ると、合計50名の日本人が乗った2隻の救命ボートが漂っており、そのうちの何人かを捕虜にして尋問した。1月13日、ブルーフィッシュは27日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がチャールズ・M・ヘンダーソン少佐(アナポリス1934年組)に代わった。副長のニミッツ・ジュニア大尉も少佐に昇進してハッド (USS Haddo, SS-255) 艦長となり、ブルーフィッシュを退艦した。
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