第1、第2、第3の哨戒 1943年9月 - 1944年1月とは? わかりやすく解説

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第1、第2、第3の哨戒 1943年9月 - 1944年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:23 UTC 版)

ブルーフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1、第2、第3の哨戒 1943年9月 - 1944年1月」の解説

9月9日ブルーフィッシュ最初哨戒ジャワ海セレベス海方面向かった9月18日ブルーフィッシュ南緯0538東経12048分 / 南緯5.633度 東経120.800度 / -5.633; 120.800の地点で2本マストスクーナーと2隻の小型帆船発見し浮上砲戦スクーナー炎上させた。9月21日午後に南緯0358東経12254分 / 南緯3.967度 東経122.900度 / -3.967; 122.900のケンダリ近海10,000トン貨客船発見し魚雷を4本発射して2つ爆発確認したが、目標そのまま北上していった。9月25日朝、ブルーフィッシュ南緯0622東経11855分 / 南緯6.367度 東経118.917度 / -6.367; 118.917の地点で2隻の護衛艦配され輸送船団発見し魚雷を4本発射して1本が目標命中する直ち反転して艦首発射管から魚雷を6本発射し、2本を目標命中させた。一連の攻撃陸軍輸送船明石丸三井船舶、3,227トン)に魚雷が1本命中した2日後9月27日未明ブルーフィッシュ南緯0545分 東経12150分 / 南緯5.750度 東経121.833度 / -5.750; 121.833のアンボン南西190海里地点で、アンボンからセレベス島ポマラ(インドネシア語版)に向かっていた特設運送船北陸丸(大阪商船、8,359トン)と、北陸丸を護衛中水雷艇発見し北陸丸に対して魚雷を6本発射したが、魚雷左舷中部命中してこれを撃沈ブルーフィッシュ第二撃改め北陸丸に対して魚雷を2本発射し1つ爆発音聴取した9月28日夜に第4号掃海特務艇水雷艇雉に護衛されていた明石丸再度発見し南緯0605東経12555分 / 南緯6.083度 東経125.917度 / -6.083; 125.917の地点至って浮上攻撃により魚雷を2本発射して2本とも明石丸命中し明石丸爆発起こして沈没したブルーフィッシュはこの攻撃魚雷使い果たしたため哨戒打ち切った10月4日ブルーフィッシュ25日間の行動終えてフリーマントル帰投した。 10月26日ブルーフィッシュ2回目の哨戒南シナ海向かった11月6日夜、ブルーフィッシュ北緯10度40東経11515分 / 北緯10.667度 東経115.250度 / 10.667; 115.250の地点遠方輸送船団11月3日シンガポール出港し門司向かっていたヒ14船団発見する。いったんは見失うも、翌11月7日午後に再度発見して船団全貌おおよそつかむ事ができた。11月8日朝、ブルーフィッシュ北緯1644東経11622分 / 北緯16.733度 東経116.367度 / 16.733; 116.367の南沙諸島東方至ったところで浮上攻撃仕掛け先頭船、五番船および六番に対して艦首艦尾の両発射管使って魚雷を計10発射し全て命中させたと判断される1時間後に二度目攻撃で後落したタンカーに対して魚雷を4本発射したが、1本は命中したものの不発で2本は命中せず、残る1本が命中したけだった三度目攻撃魚雷を2本発射して1本を命中させ、四度目の攻撃でも魚雷を2本発射し2本とも命中させた。ブルーフィッシュはこの一連の攻撃タンカー旭栄丸(日東汽船10,571トン)を撃沈した11月18日午前には北緯0506東経12339分 / 北緯5.100度 東経123.650度 / 5.100; 123.650の地点パラオからバリクパパン向かっていた第2513船団発見し深夜まで追跡の上北緯0452東経12207分 / 北緯4.867度 東経122.117度 / 4.867; 122.117のバシラン島沖に至ったところで駆逐艦早苗特務艦隠戸に対して魚雷を4本、隠戸に対して魚雷をさらに2本発射魚雷3本早苗に、1本が隠戸命中して早苗沈没し隠戸中破して行き足止めたブルーフィッシュは、またもや魚雷早々に使い果たした11月26日ブルーフィッシュ32日間行動終えてフリーマントル帰投した。 12月20日ブルーフィッシュ3回目の哨戒ラッシャー (USS Rasher, SS-269) とともに南シナ海タイランド湾方面向かった12月30日夕刻ブルーフィッシュ南緯0245分 東経10910分 / 南緯2.750度 東経109.167度 / -2.750; 109.167のカリマタ海峡タンカー一宇丸(共同企業、5,061トン)を発見し魚雷を5本発射して全て命中させて撃沈した1944年1月2日から3日未明にかけては、北緯0450東経10333分 / 北緯4.833度 東経103.550度 / 4.833; 103.550を中心とするマレー半島東岸ドゥングン(英語版)とテンゴール島英語版)間の海域機雷11敷設1月4日午後ブルーフィッシュラッシャー会合する会合の後ラッシャー別れてから約2時間半後、ラッシャーから敵発見報告もたらされすぐさまその方角に移動するラッシャー攻撃起因する思われる何度かの爆発確認しつつ目標接近し21時ごろから北緯0700東経10730分 / 北緯7.000度 東経107.500度 / 7.000; 107.500のナトゥナ諸島北北東沖でミリからサンジャック向かっていたタンカー船団に対す浮上攻撃開始する最初の攻撃目標タンカー八紘丸(帝国船舶所有/共同企業運航、6,046トン)と応急タンカー崑山丸(大連汽船、2,733トン)とし、元はアメリカで建造され八紘丸に対して魚雷を4本、崑山丸に対して魚雷を2本発射魚雷八紘丸に2本が命中した思われブルーフィッシュ掃射ののち潜航反転行い手負い八紘丸に対す第二撃魚雷を2本発射して1つ命中音を確認八紘丸は北緯0705東経10830分 / 北緯7.083度 東経108.500度 / 7.083; 108.500の地点瞬時爆沈し、ラッシャーその様子を確認していた。再浮上の後、ラッシャー特設運送船給油紀洋丸浅野物産、7,251トン)を撃沈する様子見届けた後、北緯0716東経10834分 / 北緯7.267度 東経108.567度 / 7.267; 108.567の地点崑山丸に対して魚雷を5本発射する命中せず日付1月5日変わってから北緯0740東経10825分 / 北緯7.667度 東経108.417度 / 7.667; 108.417の地点魚雷をさらに3本発射したが、これも命中しなかった。攻撃後、八紘丸と紀洋丸沈没地点に戻ると、合計50名の日本人乗った2隻の救命ボート漂っており、そのうち何人かを捕虜にして尋問した1月13日ブルーフィッシュ27日間の行動終えてフリーマントル帰投艦長チャールズ・M・ヘンダーソン少佐アナポリス1934年組)に代わった。副長のニミッツ・ジュニア大尉少佐に昇進してハッド (USS Haddo, SS-255) 艦長となり、ブルーフィッシュを退艦した。

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