第1、第2の哨戒 1944年8月 - 1945年1月
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「バヤ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年8月 - 1945年1月」の解説
8月23日、バヤは最初の哨戒でフィリピン近海に向かった。途中、フィリピン各地に対する空襲を実施する第38任務部隊(マーク・ミッチャー中将)への支援を命じられた。この支援にはバヤを含む10隻の潜水艦が従事し、フィリピンとパラオの間に日本海軍が採用したような二重の散開線を構成して配備された。この散開線は俗に「ハルゼー大将の動物園」(あるいは単に Zoo )と呼ばれたが効果は全くなく、以後の作戦で二度と採用されることはなかった。「動物園」に参加したバヤ以下の潜水艦は、任務終了後ルソン海峡方面に移った。バヤも南シナ海に転じて哨戒を続けた。10月7日、バヤは北緯14度37分 東経115度55分 / 北緯14.617度 東経115.917度 / 14.617; 115.917の地点でヒ77船団を発見。僚艦ホークビル (USS Hawkbill, SS-366) と協力して特設運送艦衣笠丸(大阪商船、8,407トン)を撃沈した。10月22日、バヤは57日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 11月14日、バヤは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。12月27日に輸送船団に対して攻撃を行い、2つの命中音を聴取した。この哨戒では戦果を挙げることはなかったと判断された。1945年1月12日、バヤは55日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がベンジャミン・C・ジャーヴィス(アナポリス1939年組)に代わった。
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第1、第2の哨戒 1944年8月 - 1945年1月
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「セグンド (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年8月 - 1945年1月」の解説
8月21日、セグンドは最初の哨戒でシーホース (USS Seahorse, SS-304) 、ホエール (USS Whale, SS-239) とウルフパックを構成しフィリピン、スリガオ海峡方面に向かった。この頃、ウィリアム・ハルゼー大将率いる第3艦隊がペリリュー島攻略支援でこの海域に進出した。日本海軍の艦隊が出動することを念頭に置き、ハルゼーはフィリピンとペリリューの間にセグンド、シーホース、ホエールを含む10隻の潜水艦を、日本海軍が採用したような二重の散開線を構成して配備させた。この散開線は俗に「ハルゼーの動物園」(あるいは単に Zoo )と呼ばれたが効果は全くなく、以後の作戦で二度と採用されることはなかった。「動物園」に参加したセグンド以下の潜水艦は、任務終了後ルソン海峡方面に移った。しかし、セグンドはついに一度たりとも目標を発見することは出来ず、一発の魚雷も発射することはなかった。10月21日、セグンドは60日間の行動を終えてマジュロに帰投した。 11月16日、セグンドは2回目の哨戒でトレパン (USS Trepang, SS-412) 、レザーバック (USS Razorback, SS-394) とウルフパックを構成しルソン海峡方面に向かった。12月6日夜、ウルフパックはバタン諸島海域で、フィリピンの戦いに使用する増援兵力を搭載したタマ34船団を発見。21時50分、セグンドは北緯18度52分 東経121度57分 / 北緯18.867度 東経121.950度 / 18.867; 121.950の地点でレザーバックとともに目標に向けて魚雷を発射。魚雷は輸送船乾城丸(乾汽船、6,933トン)に命中し轟沈させた。どちらの魚雷が命中したかは定かではない。セグンドは翌7日にも船団を攻撃し、安国丸(日本製鐵、5,794トン)にも魚雷を命中させ、安国丸は付近の海岸に漂着したのち放棄され、アメリカ軍航空機の空襲により破壊された。1945年1月5日、セグンドは49日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。潜水母艦アポロ (USS Apollo, AS-25) による整備を受けた。
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第1、第2の哨戒 1944年8月 - 1945年1月
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「レザーバック (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年8月 - 1945年1月」の解説
8月25日、レザーバックは最初の哨戒でフィリピン方面に向かった。この頃、ウィリアム・ハルゼー大将率いる第3艦隊がペリリュー島攻略支援でこの海域に進出した。日本海軍の艦隊が出動することを念頭に置き、ハルゼーはフィリピンとペリリューの間にレザーバックを含む10隻の潜水艦を、日本海軍が採用したような二重の散開線を構成して配備させた。この散開線は俗に「ハルゼーの動物園」(あるいは単に Zoo )と呼ばれたが効果は全くなく、以後の作戦で二度と採用されることはなかった。「動物園」に参加したレザーバック以下の潜水艦は、任務終了後ルソン海峡方面に移った。敵の対潜哨戒機を1機確認した後、レザーバックは北東に向かって哨戒を行った。10月19日、レザーバックは55日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がブラウン少佐に代わった。 11月15日、レザーバックは2回目の哨戒でトレパン (USS Trepang, SS-412)、セグンド (USS Segundo, SS-398) とウルフパックを構成しルソン海峡方面に向かった。12月6日夜、ウルフパックはバタン諸島海域で、フィリピンの戦いに使用する増援兵力を搭載したタマ34船団を発見。21時50分、レザーバックは北緯18度52分 東経121度57分 / 北緯18.867度 東経121.950度 / 18.867; 121.950の地点でセグンドとともに目標に向けて魚雷を発射。魚雷は輸送船乾城丸(乾汽船、6,933トン)に命中し轟沈させた。どちらの魚雷が命中したかは定かではない。12月30日には、バシー海峡で駆逐艦呉竹を撃沈し、他に別の輸送船にも打撃を与えたと判断された。1945年1月5日、レザーバックは47日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。
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「ホークビル (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年8月 - 1945年1月」の解説
8月23日、ホークビルは最初の哨戒でバヤ (USS Baya, SS-318)、ベクーナ (USS Becuna, SS-319) とウルフパックを構成しフィリピン海域に向かった。10月にホークビル以下のウルフパックは哨戒海域を南シナ海へ移動。10月7日、ホークビルは北緯14度37分 東経115度55分 / 北緯14.617度 東経115.917度 / 14.617; 115.917の地点で、南下してくるヒ77船団を発見。21時47分、ホークビルは魚雷を元特設水上機母艦衣笠丸(大阪商船、8,407トン)に向けて発射するが、この攻撃は当たらなかった。22時24分に魚雷を再び発射し、2本が命中。数分後にバヤから発射された魚雷の命中と機銃による攻撃を受け衣笠丸は沈没。しかし、その直後に始まった護衛の海防艦による激しい爆雷攻撃で潜航を強いられた。2日後の10月9日、ホークビルはベクーナとともに12隻から成るミ19船団を発見。ホークビルは北緯12度43分 東経118度05分 / 北緯12.717度 東経118.083度 / 12.717; 118.083の地点で、ベクーナとともに応急タンカー徳和丸(日東汽船、1,943トン)を撃沈した。10月14日に厳重に警戒されたロンボク海峡を通過。10月18日、ホークビルは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 11月15日、ホークビルは2回目の哨戒でベクーナ、フラッシャー (USS Flasher, SS-249) とウルフパックを構成し南シナ海に向かった。12月15日夜、ホークビルはマニラ北西海域で、マニラで空襲を受け損傷し高雄に向かっていた駆逐艦桃に対して魚雷を6本発射。魚雷は桃の第二缶室に命中し、桃は沈没していった。その後、ホークビルは再びロンボク海峡に向かった。この時警備艇に目撃されたものの、ホークビルはスコールの中へ隠れることができた。ホークビルはその射程距離から外れる前に、沿岸砲台に向けて砲撃を行った。1945年1月5日、ホークビルは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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