第1、第2の哨戒 1944年9月 - 1945年2月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1944年9月 - 1945年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:00 UTC 版)

ブラックフィン (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の解説

9月30日、ブラックフィンは最初哨戒南シナ海向かったサイパン島経由した後哨区に入った11月1日、ブラックフィンは北緯12度57東経12012分 / 北緯12.950度 東経120.200度 / 12.950; 120.200のミンドロ島北西端カラビテ山の南西60キロ地点で、タラカンからマニラ向かっていたM246船団発見。ブラックフィンは僚艦レイ (USS Ray, SS-271) とともにこれを攻撃レイタンカー第七蓬莱丸(蓬莱タンカー、834トン)を撃沈したのに続いて第十雲海丸(中村汽船、2,745トン)とカロリン丸(ナンボ汽船320トン)の2隻を撃沈した12月4日、ブラックフィンは60日間行動終えてフリーマントル帰投艦長ウィリアム・L・キッチ(アナポリス1938年組)に代わった。 1945年1月2日、ブラックフィンは2回目の哨戒南シナ海向かった1月24日、ブラックフィンは北緯0600東経10348分 / 北緯6.000度 東経103.800度 / 6.000; 103.800のマレー半島東岸クアンタン沖でヒ87船団発見し僚艦ベスゴ (USS Besugo, SS-321) とともにこれを攻撃。朝7時4分、ブラックフィンは駆逐艦時雨向けて魚雷発射魚雷1本が時雨左舷後部命中し時雨瞬時に大傾斜10分後に沈没していった。また、1時間後にはベズゴがタンカーさらわく丸三菱汽船、5,135トン)を撃破した2月15日、ブラックフィンは45日間行動終えてスービック湾帰投した。

※この「第1、第2の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の解説は、「ブラックフィン (潜水艦)」の解説の一部です。
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