第1、第2の哨戒 1944年9月 - 1945年2月
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「ブラックフィン (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年9月 - 1945年2月」の解説
9月30日、ブラックフィンは最初の哨戒で南シナ海に向かった。サイパン島を経由した後哨区に入った。11月1日、ブラックフィンは北緯12度57分 東経120度12分 / 北緯12.950度 東経120.200度 / 12.950; 120.200のミンドロ島北西端カラビテ山の南西60キロ地点で、タラカンからマニラに向かっていたM246船団を発見。ブラックフィンは僚艦レイ (USS Ray, SS-271) とともにこれを攻撃。レイがタンカー第七蓬莱丸(蓬莱タンカー、834トン)を撃沈したのに続いて第十二雲海丸(中村汽船、2,745トン)とカロリン丸(ナンボ汽船、320トン)の2隻を撃沈した。12月4日、ブラックフィンは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がウィリアム・L・キッチ(アナポリス1938年組)に代わった。 1945年1月2日、ブラックフィンは2回目の哨戒で南シナ海に向かった。1月24日、ブラックフィンは北緯06度00分 東経103度48分 / 北緯6.000度 東経103.800度 / 6.000; 103.800のマレー半島東岸クアンタン沖でヒ87船団を発見し、僚艦ベスゴ (USS Besugo, SS-321) とともにこれを攻撃。朝7時4分、ブラックフィンは駆逐艦時雨に向けて魚雷を発射。魚雷1本が時雨の左舷側後部に命中し、時雨は瞬時に大傾斜、10分後に沈没していった。また、1時間後にはベズゴがタンカーさらわく丸(三菱汽船、5,135トン)を撃破した。2月15日、ブラックフィンは45日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。
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