第1、第2の哨戒 1944年7月 - 11月
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「ロンクィル (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年7月 - 11月」の解説
7月31日、ロンクィルは最初の哨戒で東シナ海、台湾方面に向かった。8月24日朝、ロンクィルは北緯25度10分 東経122度43分 / 北緯25.167度 東経122.717度 / 25.167; 122.717の台湾西北三貂角北方でモタ23船団を発見し、第三吉田丸(山下汽船、4,646トン)と福嶺丸(東亜海運、5,969トン)に対して魚雷を発射し、第三吉田丸は搭載の弾薬が爆発して轟沈、福嶺丸は近くの海岸に座礁して果てた。9月8日、ロンクィルは39日間の行動を終えてマジュロに帰投した。 9月30日、ロンクィルは2回目の哨戒で日本近海に向かった。哨戒期間の前半はベズゴ (USS Besugo, SS-321) 、ガビラン (USS Gabilan, SS-252) とウルフパックを構成して豊後水道で哨戒し、レイテ沖海戦に関連した日本海軍の艦隊の動きを見張った。海戦終了後、ロンクィルは11月8日に一旦サイパン島に寄航。第101潜水群指揮官トーマス・B・クラークリング(英語版)大佐の指揮下、他の潜水艦とともにウルフパック "Burt's Brooms" を編成して、11月10日から日本の南方洋上に配置されている特設監視艇群を蹴散らす作戦に従事した。11月17日、ロンクィルはバーフィッシュ (USS Burrfish, SS-312) とともに北緯32度40分 東経140度09分 / 北緯32.667度 東経140.150度 / 32.667; 140.150の八丈島近海で特設監視艇ふさ丸(千葉県、176トン)を攻撃。挟み撃ちによって、ふさ丸に打撃を与えていた。しかし、ロンクィルは戦闘の最中に艦の後部で爆発が起こった。原因は、ロンクィルの5インチ砲弾か40ミリ機関砲弾が、砲身がロンクィルの甲板に向いているときに誤って発射されて、ワイヤーに命中してしまったためである。ロンクィルは耐圧区画が破られたため哨戒を打ち切った。11月28日、ロンクィルは57日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がロバート・B・ランダー(アナポリス1937年組)に代わった。
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