第1、第2の哨戒 1944年7月 - 11月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1944年7月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/17 09:40 UTC 版)

ロンクィル (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年7月 - 11月」の解説

7月31日、ロンクィルは最初哨戒東シナ海台湾方面向かった8月24日朝、ロンクィルは北緯2510東経12243分 / 北緯25.167度 東経122.717度 / 25.167; 122.717の台湾西北三貂角北方モタ23船団発見し第三吉田丸(山下汽船、4,646トン)と福嶺丸(東亜海運、5,969トンに対して魚雷発射し第三吉田丸は搭載弾薬爆発して轟沈、福嶺丸は近く海岸座礁して果てた9月8日、ロンクィルは39日間行動終えてマジュロ帰投した。 9月30日、ロンクィルは2回目の哨戒日本近海向かった哨戒期間の前半はベズゴ (USS Besugo, SS-321) 、ガビラン (USS Gabilan, SS-252) とウルフパック構成して豊後水道哨戒し、レイテ沖海戦関連した日本海軍艦隊動き見張った海戦終了後、ロンクィルは11月8日に一旦サイパン島寄航。第101潜水指揮官トーマス・B・クラークリング(英語版大佐指揮下、他の潜水艦とともにウルフパック "Burt's Brooms" を編成して11月10日から日本の南洋上配置されている特設監視艇群を蹴散らす作戦従事した11月17日、ロンクィルはバーフィッシュ (USS Burrfish, SS-312) とともに北緯3240東経140度09分 / 北緯32.667度 東経140.150度 / 32.667; 140.150の八丈島近海特設監視艇ふさ丸(千葉県176トン)を攻撃挟み撃ちによって、ふさ丸に打撃与えていた。しかし、ロンクィルは戦闘最中に艦の後部爆発起こった原因は、ロンクィルの5インチ砲弾40ミリ機関砲弾が、砲身がロンクィルの甲板向いているときに誤って発射されて、ワイヤー命中してしまったためである。ロンクィルは耐圧区画破られたため哨戒打ち切った11月28日、ロンクィルは57日間行動終えて真珠湾帰投艦長ロバート・B・ランダーアナポリス1937年組)に代わった。

※この「第1、第2の哨戒 1944年7月 - 11月」の解説は、「ロンクィル (潜水艦)」の解説の一部です。
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