第1、第2の哨戒 1944年2月 - 6月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/15 17:20 UTC 版)
「ピクーダ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年2月 - 6月」の解説
2月17日、ピクーダは最初の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。2月29日にトラック諸島からそう離れていない哨戒海域に到着。3月2日、ピクーダは北緯06度22分 東経148度27分 / 北緯6.367度 東経148.450度 / 6.367; 148.450の地点で、護衛艦からの15発の爆雷を避けながら、元特設砲艦新京丸(大連汽船、5,139トン)を撃沈。3月18日、ピクーダはサイパン島とパラオ間の航路に哨戒海域を移動。その日の午後、ピクーダは大型タンカーに魚雷を命中させたが、駆逐艦の存在もあり最終的には逃げられた。3月19日深夜、ピクーダは北緯10度09分 東経138度10分 / 北緯10.150度 東経138.167度 / 10.150; 138.167の地点で豊光丸(日魯漁業、1,521トン)に魚雷を2本命中させて撃沈した。11日後の3月30日、ピクーダはグアム南東海域で2隻の駆逐艦に護衛された2隻の貨物船を発見し、船団中最も大きいあとらんちっく丸(大阪商船、5,872トン)に向けて魚雷を5本発射。最初の命中であとらんちっく丸を航行不能に陥らせ、2本目が船尾に命中すると、あとらんちっく丸は転覆して沈んでいった。駆逐艦は26発の爆雷を投下したが動じなかった。ピクーダは魚雷を1本だけ残して哨区から引き揚げた。4月5日、ピクーダは49日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。改装の後、4月28日から30日にかけて訓練に従事した。 5月4日、ピクーダは2回目の哨戒でパーチ (USS Perch, SS-313)、ピート (USS Peto, SS-265) とウルフパックを構成しルソン海峡および台湾海峡方面に向かった。5月20日、ピクーダは香港から高雄に向かう88船団を発見。しかし、護衛の砲艦橋立、敷設特務艇円島が先制の爆雷攻撃を行い、いくつかの爆雷がピクーダの司令塔のそばと艦尾至近で爆発。このため、ピクーダは横倒しになりつつ前のめりの体勢で沈んで行き、油圧系統に損傷を負った。しかしピクーダはこの爆雷攻撃に持ちこたえ、修理ののち2日後の5月22日に北緯21度18分 東経117度12分 / 北緯21.300度 東経117.200度 / 21.300; 117.200の地点で再び橋立と交戦。魚雷4本を発射して橋立に命中させて撃沈。さらに筑波丸(東亜海運、3,171トン)にも魚雷を命中させ、筑波丸は後日、アメリカ陸軍航空隊の爆撃機により撃沈された。6月2日には台湾の沿岸を航行する輸送船団を発見。ピクーダはパーチとピートにこの船団に関する情報を送信した後、2隻の護衛艦の間をすり抜けてタンカーを攻撃。全ての護衛艦がピクーダに向かいつつあったとき、3つの命中音が聞こえた。ピクーダは四方八方から降り注ぐ爆雷を巧みに避け、被害を受けなかった。その後はバタン諸島から台湾沿岸に沿って南西諸島方面を経て父島近海を哨戒した。6月22日にミッドウェー島に寄港。6月27日、ピクーダは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がグレン・R・ドナホ(英語版)(アナポリス1927年組)に代わった。
※この「第1、第2の哨戒 1944年2月 - 6月」の解説は、「ピクーダ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第1、第2の哨戒 1944年2月 - 6月」を含む「ピクーダ (潜水艦)」の記事については、「ピクーダ (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第1、第2の哨戒 1944年2月 - 6月のページへのリンク