第1、第2の哨戒 1944年1月 - 5月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1944年1月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 14:40 UTC 版)

フラッシャー (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年1月 - 5月」の解説

1944年1月6日フラッシャー最初哨戒マニラ近海方面向かった1月18日フラッシャーは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯2446東経15130分 / 北緯24.767度 東経151.500度 / 24.767; 151.500の南鳥島西南西135海里地点輸送船護衛艦発見し魚雷を4本発射魚雷は1本が特設運送船吉田丸(日本郵船、2,926トン)の四番船倉命中し吉田丸は船尾から沈んでいった。攻撃後は哨区への航海急いだルソン島西方の哨区に到着後しばらくは遠方目標小型ボートしか見なかったが、2月5日夕刻ミンドロ島カラビテ岬沖で輸送船団からの煙を発見し間合いをとっての追跡ののち、2250分に北緯13度08東経12026分 / 北緯13.133度 東経120.433度 / 13.133; 120.433の地点いたったところで魚雷を4本発射魚雷陸軍大新丸(辰馬汽船、1,722トン)に2本が命中して轟沈させた。大新丸は3隻の小型船とともに航行していたが、大新丸を撃沈したフラッシャー攻撃後に浮上し、4インチ砲による浮上砲戦で1隻の小型船命中弾を与えた。この小型船伊勢丸といい、後刻座礁して果てたところを同行していた別の小型船によって発見された。2月14日早朝5時、フラッシャー北緯13度44東経12037分 / 北緯13.733度 東経120.617度 / 13.733; 120.617のルソン島バタンガス西方50キロ地点ダバオからマニラ向かっていたMO72船団発見魚雷を4本発射し、うち1本が陸軍船民領丸(辰馬汽船、2,224トン)に命中してこれを撃沈する護衛第百三号哨戒艇は2隻の掃海特務艇とともに爆雷攻撃行ったが、フラッシャーその間隙を突いて所を移動し、およそ2時間半後に3隻の輸送船団ミリからマニラ向かっていた第3204船団発見するフラッシャー北緯13度44東経12030分 / 北緯13.733度 東経120.500度 / 13.733; 120.500の地点魚雷を4本発射し過去には「グレイリング (USS Grayling, SS-209) を踏みつけ沈めた海軍応急タンカー北安丸(大連汽船、3,712トン)に命中して同船撃沈した2月29日フラッシャー53日間行動終えてフリーマントル帰投した。 4月4日フラッシャー2回目の哨戒南シナ海およびインドシナ半島方面向かった4月15日ミンダナオ島北西岸を航行中小型セイルボートを発見し20ミリ機銃構えて接近してみると、セイルボートはタウィタウィからミンダナオ島方面へ豆を運んでいた地元の船で、船員は英語が理解できたので害はないと判断されタバコ5箱を与えて解放した4月29日夜、フラッシャー北緯13度02東経10928分 / 北緯13.033度 東経109.467度 / 13.033; 109.467のインドシナ半島ヴァレラ岬沖でレーダーにより2つ目標探知するフラッシャー目標接近の上魚雷を6本発射し、やがて2つ目標から閃光爆発があがり、二番目目標が沈むのを確認した日付4月30日変わってすぐ、最初目標に対して魚雷を2本発射して止めとした。この攻撃ヴィシー・フランス輸送船ソン・ジャン(Song Giang, 1,065トン)とフランス極東艦隊所属小型通報艦タユールを撃沈し、ソン・ジャン撃沈ヴィシー・フランス側の報道知った5月3日には北緯12度54東経11407分 / 北緯12.900度 東経114.117度 / 12.900; 114.117の大型輸送船発見し魚雷を4本発射特段変化見られなかったので、もう2本発射して今度は1本が命中したのを確認一連の攻撃の末に輸送船帝仙丸(元ドイツ船ウルスラ・リクマス/三菱汽船委託、5,050トン)を撃沈し攻撃後には浮上してドイツ語入った浮遊物回収した5月6日にもパナイ島西方海上輸送船と「掃海艇」を発見し魚雷3本発射した命中しなかった。攻撃改め確認すると、目標病院船だった。しかし、「掃海艇」がいたことが気にかかったフラッシャーは、延々と追跡の上5月7日朝にいたって魚雷を2本発射した命中せず、やがて病院船と「掃海艇」は去っていった。5月13日にはダーウィン寄港して補給を行う。5月17日空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) とイギリス空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) の搭載機スラバヤ空襲する予定だったので(トランサム作戦)、攻撃支援する8隻の潜水艦の1隻にフラッシャー選ばれフラッシャーセレベス島マカッサル南方位置して搭乗員救助脱出艦船対す攻撃命じられた。その517日フラッシャーマカッサル近海で「神川丸水上機母艦」と護衛艦発見し折からスコールをついての追跡の末、魚雷を6本発射。しかし、魚雷命中せず爆雷攻撃追い払われた。5月24日フラッシャーアングラー (USS Angler, SS-240) の乗組員四塩化炭素中毒次々と倒れたことを知り、クレヴァル (USS Crevalle, SS-291) とともにアングラー合流して救援あたった5月28日フラッシャー54日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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