第1、第2の哨戒 1944年1月 - 5月
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「フラッシャー (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1944年1月 - 5月」の解説
1944年1月6日、フラッシャーは最初の哨戒でマニラ近海方面に向かった。1月18日、フラッシャーは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯24度46分 東経151度30分 / 北緯24.767度 東経151.500度 / 24.767; 151.500の南鳥島西南西135海里の地点で輸送船と護衛艦を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は1本が特設運送船吉田丸(日本郵船、2,926トン)の四番船倉に命中し、吉田丸は船尾から沈んでいった。攻撃後は哨区への航海を急いだ。ルソン島西方の哨区に到着後しばらくは遠方の目標か小型ボートしか見なかったが、2月5日夕刻にミンドロ島カラビテ岬沖で輸送船団からの煙を発見し、間合いをとっての追跡ののち、22時50分に北緯13度08分 東経120度26分 / 北緯13.133度 東経120.433度 / 13.133; 120.433の地点にいたったところで魚雷を4本発射。魚雷は陸軍船大新丸(辰馬汽船、1,722トン)に2本が命中して轟沈させた。大新丸は3隻の小型船とともに航行していたが、大新丸を撃沈したフラッシャーは攻撃後に浮上し、4インチ砲による浮上砲戦で1隻の小型船に命中弾を与えた。この小型船は伊勢丸といい、後刻座礁して果てたところを同行していた別の小型船によって発見された。2月14日早朝5時、フラッシャーは北緯13度44分 東経120度37分 / 北緯13.733度 東経120.617度 / 13.733; 120.617のルソン島バタンガス西方50キロの地点でダバオからマニラに向かっていたMO72船団を発見。魚雷を4本発射し、うち1本が陸軍船民領丸(辰馬汽船、2,224トン)に命中してこれを撃沈する。護衛の第百三号哨戒艇は2隻の掃海特務艇とともに爆雷攻撃を行ったが、フラッシャーはその間隙を突いて場所を移動し、およそ2時間半後に3隻の輸送船団、ミリからマニラに向かっていた第3204船団を発見する。フラッシャーは北緯13度44分 東経120度30分 / 北緯13.733度 東経120.500度 / 13.733; 120.500の地点で魚雷を4本発射し、過去には「グレイリング (USS Grayling, SS-209) を踏みつけて沈めた」海軍応急タンカー北安丸(大連汽船、3,712トン)に命中して同船を撃沈した。2月29日、フラッシャーは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 4月4日、フラッシャーは2回目の哨戒で南シナ海およびインドシナ半島方面に向かった。4月15日、ミンダナオ島北西岸を航行中に小型セイルボートを発見し、20ミリ機銃を構えて接近してみると、セイルボートはタウィタウィからミンダナオ島方面へ豆を運んでいた地元の船で、船員は英語が理解できたので害はないと判断され、タバコ5箱を与えて解放した。4月29日夜、フラッシャーは北緯13度02分 東経109度28分 / 北緯13.033度 東経109.467度 / 13.033; 109.467のインドシナ半島ヴァレラ岬沖でレーダーにより2つの目標を探知する。フラッシャーは目標に接近の上魚雷を6本発射し、やがて2つの目標から閃光と爆発があがり、二番目の目標が沈むのを確認した。日付が4月30日に変わってすぐ、最初の目標に対して魚雷を2本発射して止めとした。この攻撃でヴィシー・フランスの輸送船ソン・ジャン(Song Giang, 1,065トン)とフランス極東艦隊所属の小型通報艦タユールを撃沈し、ソン・ジャン撃沈はヴィシー・フランス側の報道で知った。5月3日には北緯12度54分 東経114度07分 / 北緯12.900度 東経114.117度 / 12.900; 114.117の大型輸送船を発見し、魚雷を4本発射。特段の変化が見られなかったので、もう2本発射して今度は1本が命中したのを確認。一連の攻撃の末に輸送船帝仙丸(元ドイツ船ウルスラ・リクマス/三菱汽船委託、5,050トン)を撃沈し、攻撃後には浮上してドイツ語の入った浮遊物を回収した。5月6日にもパナイ島西方海上で輸送船と「掃海艇」を発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかった。攻撃後改めて確認すると、目標は病院船だった。しかし、「掃海艇」がいたことが気にかかったフラッシャーは、延々と追跡の上に5月7日朝にいたって魚雷を2本発射したが命中せず、やがて病院船と「掃海艇」は去っていった。5月13日にはダーウィンに寄港して補給を行う。5月17日、空母サラトガ (USS Saratoga, CV-3) とイギリス空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) の搭載機がスラバヤを空襲する予定だったので(トランサム作戦)、攻撃を支援する8隻の潜水艦の1隻にフラッシャーも選ばれ、フラッシャーはセレベス島マカッサルの南方に位置して搭乗員救助と脱出艦船に対する攻撃を命じられた。その5月17日、フラッシャーはマカッサル近海で「神川丸級水上機母艦」と護衛艦を発見し、折からのスコールをついての追跡の末、魚雷を6本発射。しかし、魚雷は命中せず爆雷攻撃で追い払われた。5月24日、フラッシャーはアングラー (USS Angler, SS-240) の乗組員が四塩化炭素中毒で次々と倒れたことを知り、クレヴァル (USS Crevalle, SS-291) とともにアングラーに合流して救援にあたった。5月28日、フラッシャーは54日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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