第1、第2の哨戒 1943年8月 - 12月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1943年8月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 17:46 UTC 版)

ビルフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1943年8月 - 12月」の解説

8月12日、ビルフィッシュは最初哨戒南シナ海向かったトレス海峡経由してダーウィン寄港した後、哨区に到着8月29日バラバク海峡タンカー攻撃した後、9月8日朝、ビルフィッシュは5隻の輸送船からなる輸送船団発見しレーダー使用して攻撃魚雷は1本が輸送船命中し撃破した判断された。9月25日朝、ビルフィッシュは5隻の輸送船からなる別の輸送船団発見しボーフィン (USS Bowfin, SS-287) とボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) を呼び寄せて再びレーダー使って攻撃しタンカー1隻を撃破した判断された。10月10日、ビルフィッシュは59日間行動終えてフリーマントル帰投した。 11月1日、ビルフィッシュは2回目の哨戒南シナ海向かった。しかし、11月11日マカッサル海峡潜航航行中千鳥型水雷艇あるいは鴻型水雷艇思しき艦艇による爆雷攻撃でビルフィッシュは大きく損傷した。ビルフィッシュは580フィート177メートル)の深海潜航したが、それは試験深度170フィート52メートル)以上も超えていた。乗組員大半重傷負い、チャールズ・ラッシュ中尉自分任務遂行できる唯一の士官であることを理解したラッシュ中尉は艦の指揮執り攻撃回避試みた。艦は燃料タンク破損したため重油漏れ敵艦はその跡を追っていたことが分かったため、ラッシュ中尉は艦を正確に後退させ、油の跡に紛れようとした。この間主任技師ジョン・D・レンダニックが緊急修理取り組んでいた。それは衝撃基礎から外れた主電動機位置油圧ジャッキ変更する作業と、漏水激し後部魚雷発射管グリース埋め作業含まれた。12時間後に攻撃終了したその4時間後、夜に隠れてラッシュ中尉は艦を浮上させた。一機の発電機使って充電行い修理完了した後、大損傷を受けていたもの哨戒続けた11月28日にはインドシナ半島沖でボーフィンとともに340船団攻撃し、6,000トン輸送船1隻の撃破報じた12月24日、ビルフィッシュは53日間行動終えてフリーマントル帰投した。ラッシュ中尉はこの戦闘航海における功績海軍殊勲章受章した。レンダニックは死後海軍銀星章受章したまた、2004年8月17日真珠湾所在する海軍潜水艦教育訓練隊のジョン・D・レンダニック・ダメージ・コントロール・ウェット・トレーナーは彼に因んで命名された。艦長ヴァーノン・C・ターナーアナポリス1933年組)に代わった。

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第1、第2の哨戒 1943年8月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:31 UTC 版)

パーゴ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1943年8月 - 12月」の解説

8月18日パーゴ最初哨戒東シナ海向かった9月4日未明パーゴ北緯3013東経12816分 / 北緯30.217度 東経128.267度 / 30.217; 128.267の地点でサ12船団発見し魚雷を4本発射魚雷タンカー隆栄丸(日東汽船、5,142トン)に命中し、隆栄丸は大火災発生させたものの沈没免れて長崎引き返した2日後9月6日夜には、北緯3125東経12907分 / 北緯31.417度 東経129.117度 / 31.417; 129.117の地点レーダーにより6隻の第194船団探知し追跡の上9月7日未明魚雷を6本発射。「全ての魚雷命中確認した」としたが、第194船団被害はなかった。それでもこの哨戒で、4隻27,600トン戦果挙げた判断していた。10月6日パーゴ49日間の行動終えて真珠湾帰投した。 10月30日パーゴ2回目の哨戒ハーダー (USS Harder, SS-257)、スヌーク (USS Snook, SS-279) とウルフパック構成しマリアナ諸島方面向かった11月19日未明パーゴ北緯2228東経14722分 / 北緯22.467度 東経147.367度 / 22.467; 147.367のサイパン島沖で4隻の輸送船駆逐艦夕月海防艦福江護衛する第4111船団発見しハーダーおよびスヌーク連携して攻撃を行う。しかし、駆逐艦および輸送船に対して魚雷3本ずつ発射したものの、命中しなかった。11月28日午後パーゴ北緯1821東経140度08分 / 北緯18.350度 東経140.133度 / 18.350; 140.133のサイパン島北西海域で第3123船団発見先にスヌーク攻撃仕掛けその後まもなくパーゴ攻撃したパーゴ28日夜に魚雷3本発射し次いで11月29日未明魚雷を4本発射した魚雷海軍徴傭萬寿丸岡田商船、5,975トン)と特設運送船昭興丸(東和汽船、1,933トン)に命中して、2隻とも撃沈したスヌークも2隻撃沈し、第3123船団にいた5隻の輸送船のうち、4隻を撃沈したこととなった11月30日夜に北緯15度20東経140度38分 / 北緯15.333度 東経140.633度 / 15.333; 140.633の地点輸送船団発見し魚雷を計8本発射していくつかの爆発確認した12月1日未明にも魚雷3本発射した上、浮かんでいた救命ボートに対して20ミリ機銃による射撃行ったあと、海域去った11月30日から12月1日攻撃では、「10,000トンタンカー撃沈した」と判定された。12月8日パーゴ40日の行動終えてミッドウェー島帰投12月13日真珠湾到着したあと、「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジン換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海作戦部アーネスト・キング大将命令出ていたので、該当艦の1隻であるパーゴメア・アイランド海軍造船所回航され、GM社製278A16気筒エンジン換装パーゴ1944年3月5日戦列復帰した

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