第1、第2の哨戒 1943年5月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1943年5月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 03:55 UTC 版)

ティノサ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1943年5月 - 8月」の解説

5月3日ティノサ最初哨戒日本近海向かった5月29日夜、ティノサは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯3200東経13151分 / 北緯32.000度 東経131.850度 / 32.000; 131.850の日向灘で、2つ小さな目標をレーダー探知する目標のうち「7,000トン輸送船に対してまず魚雷を4本発射し2つ爆発があったとした。二度目攻撃ティノサ浮上し浮上砲戦少なくとも一発命中弾を与えたとする。目標止まった判断されティノサ砲戦次いで魚雷を4本発射したが、2本ずつ左右に逸れてゆき命中しなかった。業を煮やしたティノサは、三度目攻撃で再び魚雷を4本発射したが、やはり命中しなかった。四度目の攻撃では魚雷を2本発射し、1本が命中したように見えた攻撃受けた陸軍輸送船新東丸(沢山汽船、1,215トン)は、反撃ティノサ司令塔に二発の命中弾を与えて、さらに馬乗りになった報告したいずれにせよティノサ新東丸を撃沈することはできなかった。ティノサ西方移動し6月5日朝には僚艦シーウルフ (USS Seawolf, SS-197) を確認したのち、北緯3052東経12530分 / 北緯30.867度 東経125.500度 / 30.867; 125.500の地点で第268船団発見して魚雷を2本発射し、「伏見丸級輸送船」、実際に輸送船対馬丸日本郵船、6,754トン)に1本が命中した不発終わったシーウルフ攻撃タイミングがつかめなかった。午後にシーウルフとともに浮上したが、シーウルフだけが第268船団護衛していた第36号哨戒艇追いかけられ、ティノサ短時間浮上砲戦行ってからスコール中に逃げ込んで事なきを得たティノサは再び東に移動6月9日夕刻ティノサ北緯3114東経13244分 / 北緯31.233度 東経132.733度 / 31.233; 132.733の細島南東海上で、2月27日ジャルート環礁沖でプランジャー (USS Plunger, SS-179) の雷撃受けて艦尾損傷し航行不能状態のところをジャルートから40数日かけて、特設運送船興津丸日本郵船、6,666トンの手によって本土曳航されていた特務艦石廊発見するティノサのダスピット艦長は、この時点残っていた6本の魚雷をいつでも発射できるよう用意させて追跡行い、翌6月10日早朝にいたり、ティノサ北緯3152東経13225分 / 北緯31.867度 東経132.417度 / 31.867; 132.417の地点魚雷を4本発射した。うち2本が命中した判断されたが、攻撃直後から護衛の2隻の特設掃海艇第八拓南丸(日本海洋漁業343トン)と第六玉丸(西大漁業275トン)からの爆雷による攻撃を受け、12発の爆雷投じられティノサは、頭上爆発した爆雷艦橋内の機器故障した。それでも危機脱したティノサ修理行って哨戒続けた6月19日ティノサ47日間行動終えてミッドウェー島帰投修理従事した7月7日ティノサ2回目の哨戒トラック諸島方面向かった7月15日ティノサ北緯10度20東経15125分 / 北緯10.333度 東経151.417度 / 10.333; 151.417の地点で4隻の空母、2隻の重巡洋艦、1隻の軽巡洋艦および何隻かの駆逐艦からなる日本艦隊発見艦隊小沢治三郎中将率い第三艦隊であり、ティノサ魚雷を4本発射した命中しなかった。7月20日朝には、北緯0511東経14719分 / 北緯5.183度 東経147.317度 / 5.183; 147.317の地点で「川崎型油槽船」を発見して魚雷を4本発射して2本が命中したように見えティノサ浮上砲戦試みたが、反撃受けてあきらめた7月24日朝、ティノサ北緯0653東経14753分 / 北緯6.883度 東経147.883度 / 6.883; 147.883のトラック西方230海里地点駆逐艦玉波護衛の下、パラオからトラック向かっていた特設運送船第三図南丸日本海洋漁業19,210トン)を発見したティノサ正しく目標認識し攻撃位置について9時28分に第三図南丸向けて魚雷を4本発射。2本の命中音を確認したが、特段変化認めなかった。ティノサ爆雷攻撃備えつつ左舷側に回り、9時38分の二度目攻撃魚雷を2本発射魚雷船尾命中し爆発した第三図南丸スクリュー破損したため航行不能に陥り、爆雷攻撃始まりつつあったものの最大チャンス到来したティノサ止めを刺そうと左舷真横から800メートルの距離を置いて1本発射した。しかし、これもまた命中音は聞こえた不発終わった以後10時11分、10時14分、10時39分、10時48分、10時50分、11時にそれぞれ1本ずつ発射して命中させたが、いずれも爆発しなかった。そのうち駆逐艦甲高いスクリュー音が聞こえ1131分32分に1本ずつ発射したが、やはり爆発することはなかった。ダスピット艦長は、戦時日誌繰り返し "No effect" (変化なし)と記す羽目となった第三図南丸被雷の報により、トラック在泊の軽巡洋艦五十鈴駆逐艦朝凪などは16時30分にトラック出撃五十鈴曳航された第三図南丸は、7月28日トラック到着したティノサは、搭載魚雷24本のうち、証拠品として保全した1本を残して全て消費しティノサのダスピット艦長真珠湾への帰投命じた8月4日ティノサ27日間の「不本意な行動終えて真珠湾帰投した。 帰投後、ティノサのダスピット艦長潜水部隊司令部に猛抗議行った。ダスピット艦長抗議受理先である太平洋艦隊潜水部隊司令官チャールズ・A・ロックウッド中将アナポリス1912年組)は言う。 私は兵站局(英語版)とニューポート魚雷供給先連中がぐずぐずしていることに我慢できなかった。私は、ダン(注:ダスピットの愛称)が19,000トンタンカー撃沈できなかったことを非難することはできなかった。私が察するに、ダン怒りは相当なものだったように思う。彼の話は一見信じがたいようなものであるが、証拠彼の話を否定することを妨げた。 — チャールズ・A・ロックウッド太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将アナポリス1905年組)の特別許可により、チャールズ・モンセン(英語版大佐アナポリス1916年組)がマウイ島南岸のカホオラウェの断崖標的実物魚雷使って発射実験行なったが、結果は2本が爆発したものの、残る1本は不発終わった回収後の原因調査結果マーク14型魚雷磁気信管使用していたマーク6信管爆発尖の不良によるものであった爆発尖は目標と直角にならない時に一番爆発する確率になるようバネベアリング調整されており、直角かそれに近い角度命中すると、雷管につながるピン折れて爆発しなくなる代物であった第三図南丸命中した魚雷のうち、爆発したものについては最適な角度発射されたため爆発したのである結論付けられた。要は爆発しなかったものについては、第三図南丸動かないことをよいことに真横から発射したものの、すべて爆発尖が折れてしまい爆発しなかったということである。爆発尖の改修意外なもので解決した真珠湾攻撃時に撃墜した日本機から回収したプロペラ再利用した合金であり、開戦21か月目にして信頼できる爆発尖を得ることができた。 このマーク14型魚雷に関する問題開戦劈頭から存在しており、1941年12月13日以降サーゴ (USS Sargo, SS-188) が絶好ポジションから13本の魚雷発射して13本すべてが外れという事例があり、次いでロックウッド中将フリーマントル潜水部隊司令官在任中(当時少将)の1942年6月20日から漁網目標にした発射実験行い、3メートル深度調整して780メートル先の漁網向けて発射したところ、魚雷は8メートル深度通過して漁網潜り抜けてしまった。実験重ねたロックウッド少将兵站局に改善促していたが兵站局はこれを拒否紛糾の末に、8月1日になってようやくニューポートでの実験ロックウッド少将主張の裏付け取れたことにより、深度調整装置改修が行われた。しかし、磁気信管に関する不具合兵站局が認めたのは1943年4月27日のことであり、ニミッツ大将ロックウッド中将磁気信管使用停止命じたものの、7月24日までには間に合わなかった。また、ブリスベン潜水部隊司令官から魚雷問題対処のためアメリカ帰国していたラルフ・クリスティ(英語版少将アナポリス1915年組)は、かつて自分開発かかわったマーク14型魚雷磁気信管不具合頑として認めず潜水部隊司令官復帰して指揮下の潜水艦磁気信管使わせていた。

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