第1、第2の哨戒 1943年5月 - 10月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:50 UTC 版)
「ホー (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1943年5月 - 10月」の解説
5月27日、ホーは最初の哨戒でパラオ方面に向かった。グアム近海を経て哨区に到着し、グリーンリング (USS Greenling, SS-213) が報告するところの輸送船団を待った。はたして、6月14日午後にいたって輸送船と2隻の護衛艦を発見し、追跡の上日付が6月15日になってから北緯06度32分 東経134度51分 / 北緯6.533度 東経134.850度 / 6.533; 134.850の地点で魚雷を3本発射し、1本命中と判断された。6月21日夜には北緯08度58分 東経131度13分 / 北緯8.967度 東経131.217度 / 8.967; 131.217の地点で 魚雷を4本発射して「3本命中させ、目標を撃沈した」と判断された。6月26日にはウルシー環礁を偵察し、7月6日にミッドウェー島に立ち寄った。7月11日、ホーは45日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 8月21日、ホーは2回目の哨戒でトラック諸島近海に向かった。しかし、この哨戒ではH.O.R.エンジンの不調に悩まされる。8月29日、ホーは北緯15度17分 東経168度03分 / 北緯15.283度 東経168.050度 / 15.283; 168.050の地点で12ノットから18ノットで航行中の1,200トン級護衛艦を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は1本が命中したが、爆発した様子はなかった。9月22日にも北緯10度07分 東経146度57分 / 北緯10.117度 東経146.950度 / 10.117; 146.950の地点でタンカーを発見し、魚雷を6本発射して2本を命中させたと判断、追跡を続けたが相手はスコールにまぎれて去っていった。9月30日から10月1日にかけても、レーダーで探知した6隻の輸送船団に接触し、追跡の上北緯09度04分 東経144度51分 / 北緯9.067度 東経144.850度 / 9.067; 144.850の地点で魚雷を4本発射したが、命中しなかった。10月8日から9日にかけては、ウェーク島沖で同島攻撃で撃墜された第14任務部隊(アルフレッド・E・モントゴメリー少将)の搭乗員捜索に参加した。10月18日、ホーは59日間の行動を終えて真珠湾に帰投。メア・アイランド海軍造船所に回航されてオーバーホールに入り、折から、「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将の命令が出ており、甚だ旧式でトラブルが多く信頼性に欠けていたH.O.R.エンジンを、本来搭載されるGM社製278A16気筒エンジンに換装した。
※この「第1、第2の哨戒 1943年5月 - 10月」の解説は、「ホー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第1、第2の哨戒 1943年5月 - 10月」を含む「ホー (潜水艦)」の記事については、「ホー (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第1、第2の哨戒 1943年5月 - 10月のページへのリンク