第1、第2の哨戒 1943年3月 - 6月
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「スキャンプ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1943年3月 - 6月」の解説
3月1日、スキャンプは最初の哨戒で日本近海に向かった。途中、ミッドウェー島を視察する予定の太平洋艦隊潜水艦部隊司令官チャールズ・A・ロックウッド少将(アナポリス1912年組)を便乗させた。3月5日にミッドウェー島に到着しロックウッド少将を下艦させ、燃料を補給後担当海域に向かった。3月13日、スキャンプは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度55分 東経151度52分 / 北緯35.917度 東経151.867度 / 35.917; 151.867の地点でQシップを発見して魚雷を3本発射したが、マーク14型魚雷の磁気信管の作動不良により失敗に終わった。攻撃が失敗に終わると、スキャンプの魚雷担当班は残る魚雷の磁気信管を無効にし、触発信管のみ作動するようにした。3月16日にも北緯38度19分 東経141度38分 / 北緯38.317度 東経141.633度 / 38.317; 141.633の地点で2隻の輸送船と「千鳥型あるいは鴻型の水雷艇」を発見し、魚雷を3本ずつ計6本発射したものの、これも命中しなかった。夕刻まで爆雷の制圧を受けたあと、夜に浮上した。3月20日夕刻、スキャンプは北緯41度07分 東経141度27分 / 北緯41.117度 東経141.450度 / 41.117; 141.450の白糠灯台沖で輸送船を発見して魚雷を3本発射し1本の命中を推定、間もなく別の輸送船と駆逐艦を認めてさらに魚雷を3本発射したが、こちらは命中しなかった。一連の攻撃で、第2320A船団の特設運送船辰宮丸(辰馬汽船、6,343トン)と輸送船盛南丸(不詳)にそれぞれ1本の魚雷を命中させたが、いずれも不発だった。それでも盛南丸は浸水したため海岸に座礁した。翌3月21日未明には、北緯41度37分 東経142度27分 / 北緯41.617度 東経142.450度 / 41.617; 142.450の地点で幌筵島から徳山に向かっていたタンカー満珠丸(日本油槽船、6,515トン)に対して魚雷を2本発射し、さらに魚雷を5本、2本と発射して3つの爆発を確認する。魚雷が命中した満珠丸は航行不能となり護衛の駆逐艦沼風などに曳航されて室蘭に入港した。スキャンプはこの攻撃で魚雷を使いきり、帰途についた。3月26日、スキャンプは26日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 4月19日、スキャンプは2回目の哨戒でマーシャル諸島およびギルバート諸島方面に向かった。ジョンストン島で燃料を補給したあと、オーシャン島とナウル島を偵察。偵察後は進路をビスマルク諸島方面に転じた。道中では何度か艦船との接触があったが、そのうちの3隻、5月15日に発見したばいかる丸(大阪商船、5,266トン)と5月19日から20日に発見したあらびあ丸(大阪商船、9,480トン)、吉野丸(日本郵船、8,998トン)はいずれも病院船だったので攻撃は差し控えられた。5月28日午後、スキャンプは南緯01度42分 東経150度18分 / 南緯1.700度 東経150.300度 / -1.700; 150.300のムッソウ島の東方海域で特設水上機母艦神川丸(川崎汽船、6,853トン)を発見して魚雷を5本発射し、3本を命中させる。爆雷攻撃をかわすために一旦深深度でじっとした後、潜望鏡深度に戻して観測すると神川丸は依然浮いていたので、日付が変わった5月29日未明に魚雷をもう2本発射して1本を命中させ、ついに神川丸を撃沈した。神川丸撃沈での一連の魚雷発射は、この哨戒での唯一の戦闘だった。6月4日、スキャンプは46日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
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