第1、第2の哨戒 1942年4月 - 9月
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「ドラム (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1942年4月 - 9月」の解説
ドラムの最初の哨戒は4月17日、日本近海への航行だった。5月1日23時20分、ドラムは御前崎沖の遠州灘で中型艦船に対して魚雷を2本発射し、1本が命中。続いて駆逐艦と思しき艦艇に対しても魚雷を1本発射したが命中せず、間を置いて魚雷を3本発射したが、これも命中しなかった。この「中型艦船」は水上機母艦瑞穂であり、瑞穂は翌2日4時16分に沈没した。瑞穂の沈没は、第二次世界大戦における日本海軍軍艦の喪失第一号であった。続く5月9日には、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度10分 東経136度30分 / 北緯34.167度 東経136.500度 / 34.167; 136.500の潮岬近海で輸送船西寧丸(大連汽船、4,916トン)に対して魚雷を4本発射し、実際には1本も命中しなかったものの、ドラムは撃沈を報じた。5月13日には、北緯34度40分 東経139度14分 / 北緯34.667度 東経139.233度 / 34.667; 139.233の神子元島70度12海里の地点で、石炭を搭載して秦皇島から川崎に向かっていた輸送船昭南丸(拿捕船/川崎汽船委託、5,356トン)を撃沈。5月25日にも野島崎沖で室蘭に向かっていた輸送船喜多方丸(栗林商船、2,380トン)を撃沈した。5月28日にも北緯35度40分 東経141度05分 / 北緯35.667度 東経141.083度 / 35.667; 141.083の犬吠埼沖で特設巡洋艦粟田丸(日本郵船、7,397トン)に対して魚雷を5本発射したが、全て回避された。帰途にはミッドウェー海戦に参加し、ミッドウェー島のはるか西方で哨戒を行った。6月12日、ドラムは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 7月10日、ドラムは2回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。この哨戒ではトラック諸島在泊の日本艦艇の行動監視と、トラック諸島とラバウルおよびカビエン間の交通路を遮断する任務に就いた。7月22日午前にはポンペイ島近海で病院船高砂丸(大阪商船、9,315トン)を発見。夕方に入り北緯07度05分 東経158度23分 / 北緯7.083度 東経158.383度 / 7.083; 158.383の地点で輸送船を発見し、魚雷を2本発射したが命中しなかった。8月6日に北緯06度53分 東経152度04分 / 北緯6.883度 東経152.067度 / 6.883; 152.067の地点で輸送船に対して魚雷を3本発射して1本が命中と判断され、4,000トン級輸送船撃破と評価された。8月17日にも南緯02度48分 東経150度36分 / 南緯2.800度 東経150.600度 / -2.800; 150.600のステフェン海峡(英語版)南口付近で神風型駆逐艦と思しき艦艇に対して魚雷を3本発射したものの命中せず、爆雷攻撃によりアンテナ機器が破損した。結局、54日間行動して戦果は無かった。9月2日、ドラムは54日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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