第1、第2の哨戒 1942年1月 - 6月
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「ツナ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1942年1月 - 6月」の解説
1月26日、ツナは最初の哨戒で日本近海および東シナ海に向かった。3月4日、ツナは北緯32度33分 東経133度26分 / 北緯32.550度 東経133.433度 / 32.550; 133.433の九州沖で4,000トンクラスの貨物船を発見して攻撃し、撃沈したと報じた。しかし、この哨戒では3月4日のものを含めて8度の攻撃を行ってこれ以外の戦果はなく、また唯一のこの戦果も未確認のままJANAC(英語版)に公認されたものの、日本側の記録に該当するものはなかった。3月21日、ツナは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 4月14日、ツナは2回目の哨戒で日本近海に向かった。4月29日、ツナは北緯29度25分 東経136度54分 / 北緯29.417度 東経136.900度 / 29.417; 136.900の地点で特設運送船北陸丸(大阪商船、8,359トン)に対して魚雷を4本発射したものの、北陸丸は魚雷を左舷側に回避した。5月15日夜には、北緯33度34分 東経125度09分 / 北緯33.567度 東経125.150度 / 33.567; 125.150の済州島近海で海軍徴傭船豊原丸(北日本汽船、805トン)を撃沈した。真珠湾への帰途、ミッドウェー海戦に協力し、ミッドウェー島のはるか西方海域で日本艦隊の捜索に参加した。6月16日、ツナは60日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がアーノルド・H・ホルツ少佐(アナポリス1931年組)に代わった。
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