第1、第2の哨戒 1942年1月 - 6月とは? わかりやすく解説

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第1、第2の哨戒 1942年1月 - 6月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:46 UTC 版)

ツナ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1942年1月 - 6月」の解説

1月26日ツナ最初哨戒日本近海および東シナ海向かった3月4日ツナ北緯3233東経13326分 / 北緯32.550度 東経133.433度 / 32.550; 133.433の九州沖で4,000トンクラスの貨物船発見して攻撃し撃沈した報じた。しかし、この哨戒では3月4日のものを含めて8度攻撃行ってこれ以外の戦果はなく、また唯一のこの戦果未確認のままJANAC(英語版)に公認されたものの、日本側の記録該当するものはなかった。3月21日ツナ54日間行動終えて真珠湾帰投した。 4月14日ツナ2回目の哨戒日本近海向かった4月29日ツナ北緯2925東経13654分 / 北緯29.417度 東経136.900度 / 29.417; 136.900の地点特設運送船北陸丸(大阪商船、8,359トンに対して魚雷を4本発射したものの、北陸丸は魚雷左舷側に回避した5月15日夜には、北緯3334東経12509分 / 北緯33.567度 東経125.150度 / 33.567; 125.150の済州島近海海軍徴傭豊原丸(北日本汽船805トン)を撃沈した真珠湾への帰途ミッドウェー海戦協力しミッドウェー島のはるか西方海域日本艦隊捜索参加した6月16日ツナ60日間行動終えて真珠湾帰投艦長アーノルド・H・ホルツ少佐アナポリス1931年組)に代わった。

※この「第1、第2の哨戒 1942年1月 - 6月」の解説は、「ツナ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第1、第2の哨戒 1942年1月 - 6月」を含む「ツナ (潜水艦)」の記事については、「ツナ (潜水艦)」の概要を参照ください。

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