第1、第2の哨戒 1942年6月 - 11月
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「フィンバック (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1942年6月 - 11月」の解説
6月25日、フィンバックは最初の哨戒でアリューシャン列島方面に向かった。この方面にはすでに日本軍が進出しつつあった。7月5日に北緯51度44分 東経177度27分 / 北緯51.733度 東経177.450度 / 51.733; 177.450の地点で天霧型および朝潮型と推定される2隻の駆逐艦と接触し、2つの目標に対してそれぞれ魚雷を3本ずつ発射した。元海上自衛隊一等海佐で艦艇研究家の田村俊夫は、その頃に至近距離から魚雷4本の攻撃を受けた駆逐艦若葉が、フィンバックに雷撃された駆逐艦であろうとする。8月9日から11日にかけてはタナガ湾に入り、タナガ島に調査チームを上陸させた後、翌12日にダッチハーバーに寄港。8月23日、フィンバックは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 9月23日、フィンバックは2回目の哨戒で東シナ海に向かった。10月14日午後、フィンバックは北緯25度20分 東経121度01分 / 北緯25.333度 東経121.017度 / 25.333; 121.017の地点で水雷艇鷺に守られた第174船団を発見。そのうちの1隻である輸送船帝村丸(帝国船舶、元フランス船ヴィル・ド・ヴェルダン/三井物産委託、7,007トン)に対して魚雷を2本発射し、右舷に魚雷が命中した帝村丸は漂流の後沈没した。フィンバックは深深度潜航で攻撃海域を去った。10月18日にも北緯25度15分 東経121度55分 / 北緯25.250度 東経121.917度 / 25.250; 121.917の基隆近海で貨客船丹後丸(日本郵船、6,893トン)に対して艦尾発射管から魚雷を2本発射するも、相手は推定13.5ノットで航行しているとみられ命中せず、さらに魚雷を2本発射したが結果は同じであった。10月20日夜、フィンバックは北緯24度26分 東経120度26分 / 北緯24.433度 東経120.433度 / 24.433; 120.433の地点で、基隆から馬公に回航途中の3隻の輸送船、はわい丸(大阪商船、9,467トン)、あふりか丸(大阪商船、9,476トン)、ろんどん丸(大阪商船、7,190トン)を発見。日が変わった10月21日1時4分、フィンバックは二番船あふりか丸に対して魚雷を2本ずつ発射。そのうちの2本は左舷に命中し、あふりか丸は1時10分に沈没。また、ろんどん丸にも魚雷を命中させたが、ろんどん丸は辛うじて沈没を免れた。翌10月22日午後、フィンバックは北緯24度55分 東経119度48分 / 北緯24.917度 東経119.800度 / 24.917; 119.800の地点で北陸丸(大阪商船、8,359トン)級輸送船に対して魚雷を3本発射したが、回避される。10月25日朝の北緯22度21分 東経120度21分 / 北緯22.350度 東経120.350度 / 22.350; 120.350の地点における陸軍輸送船妙法丸(東亜海運、4,122トン)に対する攻撃も、発射した3本の魚雷はいずれも回避された。11月3日にも北緯25度25分 東経126度31分 / 北緯25.417度 東経126.517度 / 25.417; 126.517の地点で100トンクラスのサンパンを銃火で撃沈した。11月20日、フィンバックは58日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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