第1、第2の哨戒 1942年11月 - 1943年4月
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「サンフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1942年11月 - 1943年4月」の解説
11月23日、サンフィッシュは最初の哨戒で日本近海に向かった。北海道と本州の沖合で哨戒した後南下し、12月12日には北緯34度34分 東経137度33分 / 北緯34.567度 東経137.550度 / 34.567; 137.550の地点で「衣笠型重巡洋艦」に対して魚雷を2本発射したが、命中しなかった。12月16日から17日の夜にかけて伊勢湾口に機雷を敷設し、翌12月18日には北緯34度06分 東経136度55分 / 北緯34.100度 東経136.917度 / 34.100; 136.917の大王崎近海で輸送船共和丸を発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかった。1943年1月14日、サンフィッシュは53日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 2月4日、サンフィッシュは2回目の哨戒で東シナ海に向かった。3月7日夜、サンフィッシュは北緯26度55分 東経122度25分 / 北緯26.917度 東経122.417度 / 26.917; 122.417の地点で貨客船丹後丸(日本郵船、6,893トン)に対して浮上攻撃により魚雷を計7本発射し、合計3本の魚雷が命中した音が聞こえ、サンフィッシュは爆発を確認した。しかし、丹後丸は魚雷を回避しており、反撃して退避していった。サンフィッシュは、その後の2日間対潜攻撃を受け、海中でじっとしてる他はなかったが、幸いにも重大な損害からは逃れることができた。3月9日夕刻には、北緯27度05分 東経121度16分 / 北緯27.083度 東経121.267度 / 27.083; 121.267の地点で高雄に向かっていた海軍徴傭船浅間丸(日本郵船、16,947トン)を発見し、魚雷を4本発射して3つの爆発を確認した。ところが、この攻撃もまた魚雷は命中しておらず、攻撃後は護衛の駆逐艦峯風の制圧を受けた。3月13日夜23時過ぎ、サンフィッシュは北緯29度08分 東経129度10分 / 北緯29.133度 東経129.167度 / 29.133; 129.167の種子島近海で輸送船興生丸(岡田商船、3,262トン)を発見し、魚雷を3本発射。1本が命中し、興生丸は被害甚大のため宝島に座礁して果てた。4月3日、サンフィッシュは58日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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