第1、第2の哨戒 1943年6月 - 10月
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「ジャック (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1943年6月 - 10月」の解説
6月5日、ジャックは最初の哨戒で日本近海に向かった。6月20日朝、ジャックは北緯34度03分 東経139度49分 / 北緯34.050度 東経139.817度 / 34.050; 139.817の地点で1,500トン級トロール船を発見し、魚雷を3本発射するも回避される。6月26日未明には、北緯33度13分 東経139度03分 / 北緯33.217度 東経139.050度 / 33.217; 139.050の八丈島沖で5隻から成る第3625船団を発見。4隻の目標に対して魚雷を計10本発射し、特設運送船東洋丸(沢山汽船、4,163トン)の後部に1本、海軍徴傭船彰山丸(山本汽船、5,857トン)に2本の魚雷を命中させて撃沈。続いて残る目標に対し魚雷を1本ずつ発射したが回避され、また護衛の特設砲艦平壌丸(朝鮮郵船、2,627トン)の爆雷か、彰山丸の沈没の際に爆発した搭載爆雷の影響で、船体が25度傾いて深度116メートルまで押し下げられたが、ダイカース艦長は確実に東洋丸と彰山丸の沈没を潜望鏡越しに確認した。6月27日から7月3日までは相模灘などで哨戒。7月4日午後、ジャックは北緯34度33分 東経138度37分 / 北緯34.550度 東経138.617度 / 34.550; 138.617の御前崎沖で第7704船団を発見し、魚雷を3本発射。魚雷は1本が輸送船日久丸(日産汽船、6,529トン)に命中し、これを撃沈した。ジャックは東に向かい、7月8日には北緯36度56分 東経141度05分 / 北緯36.933度 東経141.083度 / 36.933; 141.083の地点で「赤城丸型輸送船」を発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかった。7月19日、ジャックは40日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 9月5日、ジャックは2回目の哨戒で日本近海に向かった。9月26日、ジャックは北緯33度45分 東経141度22分 / 北緯33.750度 東経141.367度 / 33.750; 141.367の地点で「神風型駆逐艦」と思しき艦艇を発見し、魚雷を4本発射したが命中しなかった。しかし、哨戒自体は9月24日に第2エンジンのクランクシャフトが破損し、残りのエンジンも逐次破損したため中止となった。10月10日、ジャックは30日間の行動を終えて真珠湾に帰投。「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将の命令により、メア・アイランド海軍造船所に回航されて、甚だ旧式でトラブルが多く信頼性に欠けていたH.O.R.エンジンを、本来搭載されるGM社製278A16気筒エンジンに換装した。ダイカース艦長は後年、「H.O.R.エンジンのせいで、30隻から40隻もの日本船が保たれた」と回想している。
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