第1、第2の哨戒 1943年6月 - 11月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:13 UTC 版)
「レイポン (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1943年6月 - 11月」の解説
6月24日、レイポンは最初の哨戒でプランジャー (USS Plunger, SS-179) 、パーミット (USS Permit, SS-178) とともにオホーツク海および北海道を経て、日本の裏庭ともいえる日本海に向かった。7月4日夜、レイポン、プランジャー、パーミットは機雷の敷設された宗谷海峡を浮上したまま通過し侵入した。3隻はそれぞれ張り付く海域が定められており、レイポンが向かったのは朝鮮半島の南東部沿岸であった。しかし、この海域は深い霧に包まれており、7月8日に北緯39度22分 東経129度48分 / 北緯39.367度 東経129.800度 / 39.367; 129.800の地点でレーダーで船舶のようなものを探知し魚雷を4本発射して爆発を確認したが、何も起こらなかった。日本海ではこの他に7月11日には2隻のサンパンに対して浮上砲戦を行い、75トン級サンパンを撃沈した他は攻撃の機会はなく、レイポンは来た道を引き返した。しかし、燃料と魚雷にまだ余裕があったので、日本の東岸沖を南下して東京湾の近くに向かった。7月23日には、北緯34度28分 東経140度58分 / 北緯34.467度 東経140.967度 / 34.467; 140.967の地点で空母と駆逐艦を発見し攻撃態勢に入ったが、逆に発見されて制圧され、その間に空母はどこかに去っていった。8月4日、レイポンは41日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 これ以降、8月にはプランジャーとワフー (USS Wahoo, SS-238) 、9月から10月にはワフーとソーフィッシュ (USS Sawfish, SS-276) が日本海で作戦し、間を置いて1945年に入ってからバーニー作戦で9隻が作戦を行い、多くのアメリカ潜水艦が日本海で活動するようになった。しかし、艦長の座をローウェル・T・"スターミー"ストーン中佐(アナポリス1929年組)に譲ってレイポンを去ったカーク少佐は、レイポンでの最初で最後の戦闘報告を次のように締めくくった。「このパトロールは不毛で失望した」。 9月26日、レイポンは2回目の哨戒で日本近海に向かった。10月12日朝、レイポンは北緯34度03分 東経136度49分 / 北緯34.050度 東経136.817度 / 34.050; 136.817の地点でレーダーにより4つの大きな目標と1つの小さな目標からなる西航の輸送船団を探知。魚雷を4本発射して2つの爆発を確認したが、実際には被害はなかった。翌10月13日にも北緯34度32分 東経137度55分 / 北緯34.533度 東経137.917度 / 34.533; 137.917の地点で5隻の輸送船団を発見し、魚雷を4本発射したものの、これも命中しなかった。10月18日10時、レイポンは北緯33度59分 東経136度24分 / 北緯33.983度 東経136.400度 / 33.983; 136.400の三重県三木崎灯台東方22キロの海域で第8017甲船団を発見、魚雷を3本発射して1本が輸送船大忠丸(大阪商船、1,907トン)の船尾に命中して轟沈させた。10月20日にも、北緯31度29分 東経137度28分 / 北緯31.483度 東経137.467度 / 31.483; 137.467の地点で「吹雪型駆逐艦」に護衛された「平安丸型輸送船」を発見。魚雷を4本発射し、2つ爆発があったが、何の変化も見られなかった。10月21日夜には北緯33度32分 東経135度58分 / 北緯33.533度 東経135.967度 / 33.533; 135.967の地点で輸送船団を発見して魚雷を4本発射するも、この攻撃では爆発すらなかった。10月23日昼、レイポンは北緯34度34分 東経137度39分 / 北緯34.567度 東経137.650度 / 34.567; 137.650の地点で「千鳥型水雷艇」に護衛された輸送船を発見し、最後に残った魚雷を5本発射。しかし1つの爆発を確認した以外、変化はなかった。11月4日、レイポンは39日間の行動を終えて真珠湾に帰投。「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将の命令により、該当艦であるレイポンはメア・アイランド海軍造船所に回航されてGM社製278A16気筒エンジンに換装した。
※この「第1、第2の哨戒 1943年6月 - 11月」の解説は、「レイポン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第1、第2の哨戒 1943年6月 - 11月」を含む「レイポン (潜水艦)」の記事については、「レイポン (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第1、第2の哨戒 1943年6月 - 11月のページへのリンク