第1、第2の哨戒 1943年9月 - 1944年1月
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「マスケランジ (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1943年9月 - 1944年1月」の解説
9月7日、マスケランジは最初の哨戒でパラオ方面に向かった。マスケランジはUボートが使用していたものをコピーして作られた、新型のマーク18型電池魚雷(英語版)をアメリカ海軍で最初に使用する名誉を担った。9月27日、マスケランジは北緯08度08分 東経133度47分 / 北緯8.133度 東経133.783度 / 8.133; 133.783の地点でオ608船団を発見し、魚雷を5本発射して2本が命中したと判定。マーク18型電池魚雷は航跡が見えないはずだが、この攻撃では雷跡を発見されており、護衛の水雷艇鷺からの爆雷攻撃を受けた。10月2日夜にも北緯11度26分 東経134度10分 / 北緯11.433度 東経134.167度 / 11.433; 134.167の地点で輸送船団を発見して魚雷を6本発射し、2本が命中したと判断された。この哨戒を通じて、誤動作により手動での魚雷発射を行ったものの、客船と輸送船を破壊したと認定された。10月25日、マスケランジは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がマイケル・P・ルッシロ中佐(アナポリス1927年組)に代わった。 11月27日、マスケランジは2回目の哨戒でカロリン諸島およびマリアナ諸島南方方面に向かった。12月23日未明、マスケランジは北緯10度04分 東経143度48分 / 北緯10.067度 東経143.800度 / 10.067; 143.800の地点で1隻の大型輸送船と2隻の護衛艦を発見して魚雷を6本発射し、4つの爆発と1本の命中を確認。12月28日夜にも北緯09度13分 東経147度00分 / 北緯9.217度 東経147.000度 / 9.217; 147.000の地点で輸送船と3隻の護衛艦を発見し、魚雷を4本発射て「室戸型給炭艦」を撃沈したと判定。1944年1月7日朝にも北緯10度38分 東経142度21分 / 北緯10.633度 東経142.350度 / 10.633; 142.350の地点で発見した2隻のタンカーを基幹とする輸送船団に対して魚雷を4本発射し、「タンカーに魚雷を2本命中させた」とした。1月21日、マスケランジは56日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。この後、「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将の命令が出ていたのでメア・アイランド海軍造船所に回航され、GM社製278A16気筒エンジンに換装した。
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