第1、第2の哨戒 1943年7月 - 11月
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「パドル (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1943年7月 - 11月」の解説
7月20日、パドルは最初の哨戒で日本近海に向かった。本州海域で哨戒中の8月13日朝、パドルは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度45分 東経136度17分 / 北緯33.750度 東経136.283度 / 33.750; 136.283の梶取崎(和歌山県太地町)沖で第8812船団を発見。魚雷を4本発射し、うち2本が輸送船日高丸(日本郵船、5,486トン)に命中したものの、不発魚雷だったので軽微な損傷に留まった。パドルは攻撃後、護衛艦の反撃により13時間の潜航を強いられた。8月19日、パドルは日本軍の観測機に7発の爆弾を投下され、パドルは僅かに損傷するが、直ちに修理された。8月23日昼、パドルは北緯34度37分 東経137度53分 / 北緯34.617度 東経137.883度 / 34.617; 137.883の浜松南方掛塚灯台146度4海里地点で第7822船団を発見して魚雷を4本発射し、貨客船安宅丸(帝国船舶所有/山下汽船運航、5,248トン/旧伊船Ada)に命中させてを撃沈した。パドルはさらに2本発射したが、こちらは命中しなかった。9月12日、パドルは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 10月17日、パドルは2回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。ガルヴァニック作戦に関連してナウル島沖に配備され、主にギルバート諸島を攻撃する航空部隊に向けた気象情報の通報や電波誘導を実施。11月29日には、北緯11度20分 東経162度29分 / 北緯11.333度 東経162.483度 / 11.333; 162.483のエニウェトク環礁沖で駆逐艦に護衛された「日本丸級タンカー」を発見し、魚雷を5本発射して2本の不確実な命中を記録した。12月9日、パドルは58日の行動を終えて真珠湾に帰投。この後、「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将の命令が出ていたので、該当艦の1隻であるパドルはメア・アイランド海軍造船所に回航され、GM社製278A16気筒エンジンに換装した。また、艦長がバイロン・H・ノウェル少佐(アナポリス1935年組)に代わった。
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