日高丸とは? わかりやすく解説

日高丸(初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 01:56 UTC 版)

北見丸」の記事における「日高丸(初代)」の解説

1947年昭和22年2月22日 - 起工浦賀船渠1948年昭和23年9月30日 - 竣工 10月22日 - 就航 1954年昭和29年9月26日 1120分 - 81便として貨車43積載し青森第3岸壁出航 16時33分 - 函館第4岸壁着岸予定のところ東風強く着岸断念し有川埠頭沖の防波堤内に錨泊 1930分 - 強風のため機関運転し船位維持 2158分 - 防波堤内での走錨混雑のため防波堤外へ出た 2210分 - 車両甲板船尾開口部より大量海水浸入あり、それが機関室へも流入 2225分 - 防波堤外に錨泊 23時35分 - 錨鎖切断完了、既に機関停止態となっていた 23時43分 - 全員退船命令が発せられ、積載車両右舷側へ転倒とともに右舷転覆沈没函館港西防波堤灯台より真方264度1530m、水深20mの地点乗組員76名中56名が死亡 11月15日 - 船体浮揚作業開始車両甲板より上は全て失われていた 1955年昭和30年7月30日 - 浮揚作業完了 8月26日 - 修復工事着工函館ドック1956年昭和31年3月31日 - 車両甲板より上を新造し、車両甲板には放水設置修復工事竣工総トン数3061.56トン 積載車両数ワム464月1日 - 1150分より14時27分まで函館第3岸壁可動橋接合試験2020分より函館第4岸壁可動橋接合試験の後2130分発の遅れ94便で再就航 4月2日 - 1時50青森港錨泊7時43青森第3岸壁可動橋接合試験、9時05分離岸し10時30分青森第2岸壁可動橋接合試験12時05分発 函館第3岸壁16時25分着の93便で函館帰着 1958年昭和33年2月 - ストーカー装備函館ドック1962年昭和37年3月 - ボイラー換装函館ドック1965年昭和40年8月16日 - 水中曳航予備試験速力10ノット直径60cmの水中傘5個とドラム缶1個を曳航し抵抗4.4トン 1969年昭和44年9月20日青森第3岸壁10時10分発 函館第3岸壁14時40分着の8059便で終航 1970年昭和45年2月18日 - 共和商会売却

※この「日高丸(初代)」の解説は、「北見丸」の解説の一部です。
「日高丸(初代)」を含む「北見丸」の記事については、「北見丸」の概要を参照ください。

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