日高丸(初代)
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1947年(昭和22年)2月22日 - 起工(浦賀船渠) 1948年(昭和23年)9月30日 - 竣工 10月22日 - 就航 1954年(昭和29年)9月26日 11時20分 - 81便として貨車43両積載し青森第3岸壁を出航 16時33分 - 函館第4岸壁着岸予定のところ東風強く着岸断念し、有川埠頭沖の防波堤内に錨泊 19時30分 - 強風のため機関運転し船位維持 21時58分 - 防波堤内での走錨と混雑のため防波堤外へ出た 22時10分 - 車両甲板船尾開口部より大量の海水浸入あり、それが機関室へも流入 22時25分 - 防波堤外に錨泊 23時35分 - 錨鎖切断完了、既に機関停止状態となっていた 23時43分 - 全員退船命令が発せられ、積載車両右舷側へ転倒とともに右舷へ転覆、沈没、函館港西防波堤灯台より真方位264度1530m、水深20mの地点、乗組員76名中56名が死亡 11月15日 - 船体浮揚作業を開始、車両甲板より上は全て失われていた 1955年(昭和30年)7月30日 - 浮揚作業完了 8月26日 - 修復工事着工(函館ドック) 1956年(昭和31年)3月31日 - 車両甲板より上を新造し、車両甲板には放水口設置、修復工事竣工。総トン数3061.56トン 積載車両数ワム46両 4月1日 - 11時50分より14時27分まで函館第3岸壁可動橋接合試験、20時20分より函館第4岸壁可動橋接合試験の後21時30分発の遅れ94便で再就航 4月2日 - 1時50分青森港外錨泊、7時43分青森第3岸壁着可動橋接合試験、9時05分離岸し10時30分青森第2岸壁着可動橋接合試験、12時05分発 函館第3岸壁16時25分着の93便で函館帰着 1958年(昭和33年)2月 - ストーカー装備(函館ドック) 1962年(昭和37年)3月 - ボイラー換装(函館ドック) 1965年(昭和40年)8月16日 - 水中傘曳航予備試験、速力10ノットで直径60cmの水中傘5個とドラム缶1個を曳航し、抵抗は4.4トン 1969年(昭和44年)9月20日 – 青森第3岸壁10時10分発 函館第3岸壁14時40分着の8059便で終航 1970年(昭和45年)2月18日 - 共和商会に売却
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