日高丸、十勝丸引退と有川桟橋廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:14 UTC 版)
「渡島丸 (2代)」の記事における「日高丸、十勝丸引退と有川桟橋廃止」の解説
“国鉄改革”の一環としての1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正では、貨物列車の大幅削減が断行され、青函連絡船でも貨物便が削減され、それまでの最大22往復から同20往復となった。これにより日高丸(2代)は青森第3岸壁1月31日12時45分発、函館第4岸壁16時35分着の273便で終航となり、十勝丸(2代)も青森第3岸壁17時25分発、函館第3岸壁21時10分着の263便で終航となり、両船はそれぞれ着岸した岸壁でそのまま係船され、その岸壁が所属する有川桟橋も2月1日付けで廃止された。日高丸(2代)は1987年(昭和62年)2月4日、セブン商事に売却され2月28日解体のため韓国へ向け曳航されて函館を発ち、十勝丸(2代)も2月4日、日商岩井に売却され3月8日、解体のため台湾へ向け曳航され函館を離れた。
※この「日高丸、十勝丸引退と有川桟橋廃止」の解説は、「渡島丸 (2代)」の解説の一部です。
「日高丸、十勝丸引退と有川桟橋廃止」を含む「渡島丸 (2代)」の記事については、「渡島丸 (2代)」の概要を参照ください。
- 日高丸、十勝丸引退と有川桟橋廃止のページへのリンク