貨車海中投棄試験と蒸気タービン船の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 06:38 UTC 版)
「石狩丸 (初代)」の記事における「貨車海中投棄試験と蒸気タービン船の終焉」の解説
津軽丸型当初計画の6隻の就航を見届けた1965年(昭和40年)8月31日と9月30日、渡島丸と石狩丸が順次終航した。この前年の12月3日の第八青函丸終航直後の試験に引き続き、やはり終航直後の渡島丸を使い、1965年(昭和40年)9月4日、水中傘使用による貨車海中投棄試験が実施された。この試験の成功により、既に就航していた船も含め、車両甲板船尾端、エプロン甲板との段差部分に、貨車引き出し投棄用の水中傘を格納するようになった。 十勝丸は1970年(昭和45年)3月31日、2代目日高丸就航を前に国鉄連絡船最後の蒸気タービン船として勇退した。
※この「貨車海中投棄試験と蒸気タービン船の終焉」の解説は、「石狩丸 (初代)」の解説の一部です。
「貨車海中投棄試験と蒸気タービン船の終焉」を含む「石狩丸 (初代)」の記事については、「石狩丸 (初代)」の概要を参照ください。
- 貨車海中投棄試験と蒸気タービン船の終焉のページへのリンク