石狩丸とは? わかりやすく解説

石狩丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/02 10:05 UTC 版)

石狩丸(いしかりまる)は、日本の鉄道連絡船。かつて青函航路に就航していた。


石狩丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 06:38 UTC 版)

石狩丸 (初代)」の記事における「石狩丸」の解説

1945年昭和20年3月1日 - 起工三菱重工横浜造船所1946年昭和21年7月6日 - 竣工 1946年昭和21年7月23日 - 就航進駐軍専用船指定 1947年昭和22年4月 - 前部デッキハウスに進駐軍供食設備将官設置12月12日 -【石狩丸難航吹雪を伴う強い西風の中 進駐軍函館RTO命令1119函館出航難航のすえ三厩湾錨泊後、翌日青森1949年昭和24年3月 - 主機換装三菱神戸式1段減速歯車衝動反動タービン2,250軸馬力2台)、発電機増設50kVA 2台から3台へ(三菱重工横浜造船所1950年昭和25年12月2日 - レーダー装備 1951年昭和26年4月29日 - 沖停泊発電機始動タービン爆裂し操缶手死亡 1952年昭和27年4月1日 - サンフランシスコ講和条約発効による占領終了前に進駐軍専用船指定解除1954年昭和29年9月26日 - 洞爺丸台風来襲の日、1201便として、強風の中1840函館第2岸壁着岸した。しかしさらに強まった風で係留索は切断され2015分自然離岸し、2025防波堤内第2航路上に錨泊する形となり沈没免れた9月28日 - 変80便(函館第1岸壁16時40分発 青森第1岸壁2150分着)で復帰 1957年昭和32年2月 - ボートダビット取替函館ドック1958年昭和33年7月 - デッキハウス撤去車両甲板放水設置、客載車両渡船から車両渡船改造総トン数2,913.1トンとなる(函館ドック1959年昭和34年6月 - ストーカー装備二重底改造函館ドック1965年昭和40年9月30日 - 211便(青森第3岸壁定刻57分遅れの16時57分発 函館定刻20時30分着のところ有川桟橋うねり強く沖待ちの後 函館第3岸壁10月1日8時01分着)にて終航。 1965年昭和40年11月27日 - 三菱商事売却

※この「石狩丸」の解説は、「石狩丸 (初代)」の解説の一部です。
「石狩丸」を含む「石狩丸 (初代)」の記事については、「石狩丸 (初代)」の概要を参照ください。

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