石狩丸
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石狩丸(いしかりまる)は、日本の鉄道連絡船。かつて青函航路に就航していた。
- 石狩丸 (初代) - 1946年、貨客船として就航。1958年、貨物船に改装。1965年、運航終了。
- 石狩丸 (2代) - 1957年、初代「十和田丸」(貨物船)として就航。1967年、貨物船に改装し改名。1977年、運航終了。→十和田丸 (初代)#石狩丸(2代目) を参照。
- 石狩丸 (3代) - 1977年、就航。1988年、運航終了。→渡島丸 (2代)#渡島丸型を参照。
石狩丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 06:38 UTC 版)
1945年(昭和20年)3月1日 - 起工(三菱重工横浜造船所) 1946年(昭和21年)7月6日 - 竣工 1946年(昭和21年)7月23日 - 就航、進駐軍専用船指定 1947年(昭和22年)4月 - 前部デッキハウスに進駐軍用供食設備と将官室設置12月12日 -【石狩丸難航】吹雪を伴う強い西風の中 進駐軍函館RTO の命令で11時19分函館を出航、難航のすえ三厩湾錨泊後、翌日青森着 1949年(昭和24年)3月 - 主機換装(三菱神戸式1段減速歯車付衝動反動タービン2,250軸馬力2台)、発電機増設50kVA 2台から3台へ(三菱重工横浜造船所) 1950年(昭和25年) 12月2日 - レーダー装備 1951年(昭和26年) 4月29日 - 沖停泊中発電機始動時タービン爆裂し操缶手死亡 1952年(昭和27年) 4月1日 - サンフランシスコ講和条約発効による占領終了を前に、進駐軍専用船指定解除。 1954年(昭和29年)9月26日 - 洞爺丸台風来襲の日、1201便として、強風の中18時40分函館第2岸壁へ着岸した。しかしさらに強まった風で係留索は切断され、20時15分自然離岸し、20時25分防波堤内第2航路上に錨泊する形となり沈没を免れた。9月28日 - 変80便(函館第1岸壁16時40分発 青森第1岸壁21時50分着)で復帰 1957年(昭和32年)2月 - ボートダビット取替(函館ドック) 1958年(昭和33年)7月 - デッキハウス撤去、車両甲板放水口設置、客載車両渡船から車両渡船に改造、総トン数2,913.1トンとなる(函館ドック) 1959年(昭和34年)6月 - ストーカー装備、二重底化改造(函館ドック) 1965年(昭和40年)9月30日 - 211便(青森第3岸壁定刻57分遅れの16時57分発 函館定刻20時30分着のところ有川桟橋うねり強く沖待ちの後 函館第3岸壁10月1日8時01分着)にて終航。 1965年(昭和40年)11月27日 - 三菱商事に売却
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