石狩丸難航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 06:38 UTC 版)
1947年(昭和22年)12月12日は西高東低の気圧配置で、前日より強い西風を伴う猛吹雪が続き、全船運航見合わせしていた。石狩丸船長も出航見合わせを主張したが、占領下の当時は進駐軍函館RTO(Railway Transportation Office、鉄道輸送事務所)の出航命令には逆らえず、進駐軍専用の上り1202便として、進駐軍兵士115名、貨車38両、客車3両を積載して、函館第1岸壁を11時19分出航した。11時51分穴澗岬航過後南30度西に針路をとり14時19分、航程29海里で平館灯台北側の石埼無線標識を南25度東に測定したため、針路を南40度東に転針し平館海峡へ向かった。しかし17.4〜24.5mの強い西風を船尾から受け、船首が風に切れ上がって針路保持ができず、猛吹雪で視界もきかず、船体動揺も最大36度にも達したため、14時50分南70度西へ転針し、三厩湾への避難を決意した。しかし視界不良で陸岸への接近もできず、15時17分より投錨しないまま機関と舵を種々運転して船首を風上に向け、その場に留まる踟蹰航法(ちちゅうこうほう)を開始した。15時30分一瞬の晴れ間に竜飛埼灯台真方位80度3海里と船位測定した。踟蹰航法継続中の19時23分には左舷後方近距離に陸岸を視認、予想外の圧流のため、これ以上の踟蹰は擱坐の危険を伴うと判断し、19時30分に北70度東に針路をとり青森へ向かうことにした。しかし19時33分には強い追い風で針路維持できず、車両甲板への波の打ち込みもあり、北30度西に転針後三厩錨地仮泊を決断し、21時に一時視界確保された機会に、錨を引きずりながら前進し、錨が海底に触れた後直ちに投錨、21時35分三厩灯台真方位30度0.8海里水深18m地点に錨泊できた。翌12月13日8時15分抜錨し吹雪の中、石埼無線標識を測定しつつ9時33分平館灯台航過し、11時35分青森第1岸壁に到着できた。難航中は船上の進駐軍乗船隊長と函館RTOの間には頻繁な電報のやり取りがあり、陸奥湾に入って動揺の収まった船内では、進駐軍兵士が船橋や船員室まで押しかけ、無事を喜び、船員の労苦に感謝した。これ以降は函館RTOも船長判断を尊重するようになった。
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