石狩丸と渡島丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 06:38 UTC 版)
石狩丸は1954年(昭和29年)9月26日1201便として11時00分青森第1岸壁を出航し、15時30分函館第1岸壁着岸予定であったが、そこには洞爺丸が出航見合わせ停泊中で、第2岸壁には先船の5便大雪丸が着岸用意中のため、15時40分防波堤外に投錨待機した。17時25分の大雪丸沖出しを待って17時45分抜錨し防波堤内へ、しかしその頃から南南西の風が強くなり、第2岸壁着岸時には岸壁側から強風を受けながら補助汽船5隻で船体を押し、18時40分かろうじて着岸、通常係留索6本取るところ9本取った。しかしその後、風はさらに強くなり、船体動揺激しく、旅客の下船はできたものの、貨車引き出し作業は難渋、やがて係留索が次々と切断されたため、補助汽船3隻で船体を岸壁側に押したが力およばず、20時15分 船内に貨車21両を残したまま自然離岸してしまった。直ちに機関運転開始し20時25分防波堤内第2航路上に錨泊する形となり沈没は免れた。 渡島丸は9月26日62便として10時55分函館有川第3岸壁を出航、12時40分、強い東風を受け、船長自ら無線電話で「風速25m、波8うねり6、動揺22度、針路南東で難航中」と発信、難航しながらも45分遅れで16時20分青森第1岸壁着、以後運航休止し船体損傷はなかった。
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