石狩丸と渡島丸の改良工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 06:38 UTC 版)
「石狩丸 (初代)」の記事における「石狩丸と渡島丸の改良工事」の解説
沈没を免れたこれら2隻でも、十勝丸と同様、救命艇ボートダビットの重力型への交換、車両甲板船尾舷側外板下部への放水口設置、車両甲板面の水密性向上工事、発電機の250kVA 2台への増強工事などが行われたが、車両甲板全幅にわたる広い車両格納所を持ち、かつ船橋楼甲板上にも客室を持つ客載車両渡船(デッキハウス船)の石狩丸では、これだけでは十分な復原性を確保できないことが判明したため、 1958年(昭和33年)7月、放水口設置と同時にデッキハウスを撤去し、本来の車両渡船に戻され、さらに1959年(昭和34年)6月、二重底化工事も施工された。 車両甲板下はW型船同様8枚の水密隔壁で9水密区画に区切られ、ボイラー室、機械室、車軸室、操舵機室間の3枚の水密隔壁に手動式水密辷戸が3ヵ所設置されていたが、このうち機械室の前後の水密隔壁の水密辷戸2ヵ所のみ、修復された十勝丸同様、蓄電池で駆動する直流電動機直接駆動方式水密辷戸が設置され、残り1ヵ所は手動式のまま残された。なお、両船とも車両甲板外舷上部の通風採光用の開口部は、これら一連の改良工事でも閉鎖されず、終航まで残った。
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