建造中の青函航路転用と終戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/01 06:38 UTC 版)
「石狩丸 (初代)」の記事における「建造中の青函航路転用と終戦」の解説
当時浦賀船渠がW型戦時標準船の建造で余力がなかったため、三菱重工横浜造船所で建造されることになり、1945年(昭和20年)3月1日にH型第1船が起工された。しかし、早くも、同年4月の戦時造船計画「改12線表」で、博釜航路の陸上施設建設が資材不足と航路筋の海上状況悪化から中止となり、建造数も3隻に削減され、これらは北海道炭輸送で繁忙を極める青函航路へ転用されることになり、博釜航路での車両航送計画は消滅した。建造工事は遅れを重ね、同年8月15日の終戦時は船台上で建造中で、その後、一時工事中断の後、ほどなく再開され、翌1946年(昭和21年)3月15日、ようやく進水できた。従来このクラスの車両渡船は第○青函丸と命名されていたが、本船は北海道の旧国名から石狩丸と命名され、本船建造以降に建造されたH型、W型の車両渡船もこれにならうこととなった。なお、H型第2船、第3船は終戦のため着工に至らなかった。なお、石狩丸のように戦時中に起工され、終戦後も工事が続行された船を「続行船」と呼ぶことがある。
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