建造スピード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 17:13 UTC 版)
伊吹は安芸進水後の1907年(明治40年)に起工したが、輸入したカーチスタービンの到着が安芸用より先になり、蒸気タービン機関の試験艦としての性格を兼ねることとなった。戦艦安芸がまだ呉海軍工廠第三船台で建造中に特命検閲があり、井上良馨元帥が小幡文三郎造船部長に「主力艦は、予算に制限がなければ何か月で進水できるか」と尋ね、小幡は「6か月」と即答した。小幡にはほんの2-3年前に「4か年」と称し、多忙な戦時下に巡洋戦艦筑波を実際に1か年で進水させた実績はあるもののこの回答に工廠長、検閲使ともに驚いたのだが、小幡は造船先進国イギリスが試験艦であった戦艦ドレッドノートを特急工事で仕上げて4か月で進水しているのを見て「英国が4か月ならわれは6か月でできるであろう」と考え、すでに工程まで検討済みであった。伊吹の起工式の日小幡は工員全員を集めて「今度の艦は今から正味6か月で進水する。しかも日曜や休日は、決して出業しない。また残業もしない。いっさい実時間の作業である。責任は私が持つ。今日はよぶんの加給をつけてあげるから、諸君はいまから帰宅し、風呂にはいって一杯やりたまえ。そのかわり明日からしっかり全力をあげて作業せよ。お金は仕事をしただけ余分にあげる」と訓示し、実際伊吹は起工から6か月で進水した。 竣工は鞍馬や安芸より先となった。
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