青函航路
青函航路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:11 UTC 版)
終戦後もしばらく放置されていたが、青函連絡船の不足を補うため1946年に引き揚げられ、1947年8月に修理が完了。同年9月23日より青函航路に就航する。1947年より洞爺丸型が順次就航すると、1948年10月10日に終航する。 1952年1月から4月まではアメリカ軍に徴用され、朝鮮戦争の人員・物資の運搬に従事する。 1954年9月26日、洞爺丸台風により洞爺丸などが沈没(洞爺丸事故)すると、船員の訓練の必要があがり、昌慶丸は1955年12月18日に訓練船となり、函館港有川岸壁に繋留される。1957年10月まで訓練船として使われ、1961年に売却、解体された。 表 話 編 歴 関釜連絡船(博釜連絡船)の船舶国鉄客船 壱岐丸I型壱岐丸I・対馬丸I 高麗丸型高麗丸・新羅丸 景福丸型景福丸・徳寿丸・昌慶丸 金剛丸型金剛丸・興安丸 天山丸型天山丸・崑崙丸 国鉄貨物船 壱岐丸II型壱岐丸II・対馬丸II 航路転入多喜丸 傭船さくら丸・うめが香丸・博愛丸・弘済丸・西京丸 表 話 編 歴 青函連絡船の船舶比羅夫丸型比羅夫丸・田村丸 初期車両渡船車運丸・桜島丸 快運丸型第一・第二快運丸 白神丸型白神丸・竜飛丸 翔鳳丸型翔鳳丸・飛鸞丸・津軽丸I・松前丸I 青函丸(戦前型)第一青函丸・第二青函丸・第三・第四青函丸 W型戦時標準船第五・第六・第七・第八・第九・第十・第十一・第十二青函丸 石狩丸型石狩丸I・十勝丸I・渡島丸I 北見丸型北見丸・日高丸I 洞爺丸型洞爺丸・大雪丸I・摩周丸I・羊蹄丸I 檜山丸型檜山丸I・空知丸I 初代十和田丸十和田丸I→石狩丸II 津軽丸型■津軽丸II・■八甲田丸・■松前丸II・■大雪丸II・■摩周丸II・■羊蹄丸II・■十和田丸II 渡島丸型渡島丸II・日高丸II・十勝丸II・空知丸II・檜山丸II・石狩丸III 他航路から転属壱岐丸I・新羅丸・亜庭丸・景福丸・壱岐丸II・宗谷丸・昌慶丸・徳寿丸 補助汽船(航路廃止時)ひうら丸・ふくうら丸・しらかみ丸・たっぴ丸・かつとし丸 カテゴリ
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青函航路
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1954年9月26日の洞爺丸台風により洞爺丸などが沈没(洞爺丸事故)すると、10月1日より洞爺丸の代船として青函航路に就航(助勤、10月2日転属)し、新造船の十和田丸就航を前にした1957年8月31日で終航となった。その後は広島鉄道管理局へ戻されて下関桟橋に係留され、1961年6月16日に老朽船として三菱商事に売却、解体された。
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