亜庭丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 08:34 UTC 版)
亜庭丸(あにわまる)は、1927年から1945年まで、日本の鉄道省が北海道の稚内と樺太の大泊を結ぶ稚泊航路に就役させた貨客船である。船名は樺太の亜庭湾に由来する[要出典]。
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- ^ a b 『稚泊連絡船史』78-79ページ
- ^ a b c d e f g h i 『稚泊連絡船史』84-85ページ
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- ^ Aniwa_Maru
- ^ 『稚泊連絡船史』311-313ページ
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- ^ 『稚泊連絡船史』331-333ページ
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- ^ 『稚泊連絡船史』334ページ
- ^ 『稚泊連絡船史』334-335ページ
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- ^ 『稚泊連絡船史』310ページ
亜庭丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 16:13 UTC 版)
対馬丸代船として建造。1927年12月8日就航、1945年6月20日終航。転属先の青函航路で同年8月10日空襲沈没。
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