玉藻丸とは? わかりやすく解説

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玉藻丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 05:28 UTC 版)

玉藻丸(たまもまる)は、旧鉄道院(後の鉄道省宇高航路に在籍した客船。

船名は古事記にある地名からとられており、玉藻は高松港付近のことである[1]

「玉藻丸」およびほぼ同型の「児島丸」は元は山陽鉄道傘下の山陽汽船商社が建造した船である[2]。長崎三菱造船所で建造[3]。1902年8月11日起工[4]。1903年1月24日進水[4]。3月12日竣工[4]。3月18日、三蟠・高松間に就航[2]

「玉藻丸」は総トン数223.50トン、長さ120.00フィート、幅19.50フィート、深さ9.78フィートであった[5]。旅客定員は就航時は一等12名、二等36名、三等98名であったが、1919年には二等38名、三等290名となっている[6]

照明に旧来の石油ランプに代わって電灯を用い、話題となった[6]。また船体もそれまでの黒と違って白色に塗られていた[6]。船内の売店ではビフテキ、ビール、フライが売られ、珍しがられた[6]

1906年、山陽鉄道は国有化される[2]

1910年6月に宇野線が開通すると岡山・高松航路は宇野・高松航路に変更され、「玉藻丸」は同航路の第一船となった[7]

1919年7月5日と6日、および1920年5月16日から18日、山陽線不通に伴い宇野・尾道間で臨時運行される[8]

1923年大正12年)6月26日終航[要出典]

1924年3月1日、「児島丸」とともに瀬戸内連絡急行汽船に売却された[9]

参考文献

  • 萩原幹生(編著)『宇高連絡船78年の歩み』成山堂書店、2000年、ISBN 4-425-92331-6
  • 『宇高航路50年史』日本国有鉄道四国支社宇高船舶管理部、1961年
  • 『創業百年の長崎造船所』三菱造船、1957年

脚注

  1. ^ 『宇高航路50年史』44-45ページ
  2. ^ a b c 『宇高航路50年史』258ページ
  3. ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』337ページ
  4. ^ a b c 『創業百年の長崎造船所』527ページ
  5. ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』336ページ
  6. ^ a b c d 『宇高航路50年史』44ページ
  7. ^ 萩原幹生『宇高連絡船78年の歩み』106ページ
  8. ^ 『宇高航路50年史』261-262ページ
  9. ^ 『宇高航路50年史』263ページ




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