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玉藻町

読み方:タマモチョウ(tamamochou)

所在 香川県高松市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒760-0030  香川県高松市玉藻町

玉藻町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 15:18 UTC 版)

日本 > 香川県 > 高松市 > 本庁地区 > 高松 > 玉藻町
玉藻町

たまもちょう
玉藻町
玉藻町
玉藻町
北緯34度21分2秒 東経134度3分7秒 / 北緯34.35056度 東経134.05194度 / 34.35056; 134.05194
日本
都道府県 香川県
市町村 高松市
地区(上位) 本庁地区
地区(下位) 高松
新設 1906年明治39年)
面積
 • 合計 0.1854358 km2
最高標高
5.8 m
最低標高
1.8 m
人口
2010年10月1日現在)[1]
 • 合計 48人
 • 密度 260人/km2
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
760-0030
市外局番 087
ナンバープレート 香川

玉藻町(たまもちょう)は、香川県高松市中心部の町丁郵便番号は760-0030。全域が住居表示に関する法律に基づく住居表示実施地区である[2]。史跡高松城跡玉藻公園がある。

地理

高松市役所より1.1km、高松市中心部の都心北端に位置し、北は高松港、東はフェリー通り、西はことでん琴平線の鉄道敷、南は瀬戸大橋通りによって区切られている。史跡高松城跡玉藻公園が多くの面積を占め、北には水城通り国道30号)や四国フェリー乗り場をはじめとした港湾施設、東には香川県県民ホール香川県立ミュージアム、旧市立城内中学校といった大規模施設が立地しているため、民有地はフェリー通り沿いのごく僅かとなっている。

2010年国勢調査による人口は48人(男27人/女21人)、世帯数は33世帯、面積は18万5435.8m2、人口密度は258.8人/km2[1]。公立小学校中学校校区は全域が新番丁小学校紫雲中学校に属している[3]

町内における都市計画法に基づく用途地域は、全域が容積率400%の商業地域である[4]

埋め立て地である水城通り沿いを除いて、大部分が高松城の旧曲輪内にある。その後、本丸、二の丸、三の丸、北の丸、桜の馬場の東部については高松市玉藻公園として保存・整備されたが、東の丸部分には香川県県民ホールや香川県立ミュージアム、市立城内中学校などが建てられて周辺の市街地と同化し、史跡の対象とはなっていない。

隣接する町丁

歴史

町名の由来は、元々の町域が 玉藻浦 たものうらと呼ばれる高松城北側地先を埋め立てて新設された町であることによる。

元々高松城は海城と称されることからもわかるように、北側は直接瀬戸内海に面していた。それが明治に入ると、1897年(明治30年)〜1900年(明治33年)の第一次高松築港拡張工事によって一部が、1901年(明治34年)〜1904年(明治37年)の第二次高松築港拡張工事によって城の北側が全て埋め立てられる。その埋め立てによって新たに出来た土地は当初、内町及び新湊町一丁目の各一部であったが、1906年(明治39年)6月に同域を以って玉藻町が新設された。

1922年(大正11年)〜1928年(昭和3年)にかけて行われた第三次高松築港拡張工事により現・水城通り沿いに県営桟橋や港務所[注 1]が立地すると、同通り沿いには旅館や待合所、倉庫が立ち並んだ。1930年(昭和5年)には地先の埋め立て地を編入。

1945年(昭和20年)7月4日未明にはアメリカ軍による無差別絨毯爆撃高松空襲」を受け、高松城内の旧国宝・桜御門が焼失するなどの被害を受けたが、壊滅的被害を受けた他町とは異なり、当町の場合は海岸沿いに位置していたこともあって他の被害は少なかった。

当初は明治以降の埋め立て地のみを町域としていたが、1958年(昭和33年)に一部が寿町一丁目〜二丁目、新湊町及び北浜町へ編入され、逆に内町の北側部分並びに新湊町一丁目〜四丁目及び本町の各一部を編入した結果大幅に町域が広がった。さらにその後、1969年(昭和44年)には北浜町、本町及び寿町一丁目〜二丁目の各一部を編入している[5]

主要施設

掲載順は住居表示による街区符号・住居番号

脚注

  1. ^ a b この高松港港務所は、古典様式を基調としながらもモダニズム的表現を取り入れた折衷様式の洋風建築で、後の高松空襲でも残り、2001年(平成13年)5月に高松港旅客ターミナルビルが開業するまで使用されていたが、基礎地盤の陥没や柱のひび割れなど老朽化が進んでいたため、2012年(平成24年)に解体された。
  2. ^ 当町に位置しているが、出入り口が中央通りであるため住居表示は寿町となる。
  3. ^ 2009年(平成21年)3月閉校。

参考文献

  1. ^ a b 平成22年国勢調査、小地域集計、37香川県”. 総務省統計局(e-Stat) (2012年12月11日). 2014年2月10日閲覧。
  2. ^ 住居表示について”. 高松市都市計画課. 2014年2月10日閲覧。
  3. ^ 高松市小・中学校区一覧表” (PDF). 高松市学校教育課 (2010年5月1日). 2014年2月24日閲覧。
  4. ^ 都市計画マップ 用途地域 玉藻町付近”. 高松市広聴広報課. 2014年2月22日閲覧。
  5. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典37 香川県』角川書店、1985年9月、520頁頁。ISBN 978-4-04-001370-1 

関連項目



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