たまも‐の‐まえ〔‐まへ〕【玉藻の前】
玉藻前
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玉藻前(たまものまえ)は、平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫であったとされる伝説上の人物。妖狐の化身であり、正体を見破られた後、下野国那須野原で殺生石になったという。
- ^ 徳田和夫編『お伽草子事典』東京堂出版、2002年9月、333頁。
- ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2553365/66
- ^ 『実隆公記』文亀3年(1503年)9月19日に上演の記録がある。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918627/102
- ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532290/32
- ^ この場合、退治された玉藻前は宝蔵に納められる、あるいは空舟に乗せて流される。
- ^ 川島朋子「室町物語『玉藻前』の展開」『国語国文』73巻8号、2004年8月。
- ^ 「今は何をか包むべき、天竺にては斑足太子の塚の神、大唐にては幽王の后褒姒と現じ、我が朝にては鳥羽の院の、玉藻の前とはなりたるなり。」(能『殺生石』)、「昔西域に斑足王あり、その夫人悪逆に過たり、王に勧て、千人の首を取しむ。その後支那国に出生して、周の幽王の后となり、その名を褒姒といふ。国を滅し、人を惑し、死して後日本に出生す。近衛院の御宇に玉藻前と號す。」(『下学集』)
- ^ 元代の『武王伐紂平話』で妲己は九尾の狐の化身とされている。玉藻前は『下学集』では白狐に変化したとされ、御伽草子の挿絵では二尾の狐の姿で描かれている(外部リンク参照)。
- ^ 「事のこころを推し量るに七十四代の帝鳥羽院の美福門院を寵させ給ふのあまり内外の事みな後宮の進退によらせ給ひしかば世の談も多く人の恨も深くして終に保元の播乱となりぬこれらの事をいはんとて近衛院の宮嬪玉藻前といふ妖怪を作り設し也」(曲亭馬琴『昔語質屋庫』「九尾の狐の裘」)
玉藻前(たまも の まえ)
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「妖狐伝義経千本桜」の記事における「玉藻前(たまも の まえ)」の解説
本作オリジナルのスペシャルステージとして登場。妖狐の姿として白狐の夢に度々現われる。
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玉藻前(たまもまえ)
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重仁が出会った謎の白拍子。オサキという狐の妖怪をお供に連れている。
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玉藻前(たまものまえ)
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「雷様剣士ダイジ」の記事における「玉藻前(たまものまえ)」の解説
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玉藻前
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「エルミナージュ異聞 アメノミハシラ」の記事における「玉藻前」の解説
妖狐族の始祖でミョウブ同様死んでおり、長い間自らの名を名乗る森で眠りについていたところをクレナイによって目覚められる。彼を満足させようと舞い踊りをさせた後、クレナイに一騎討ちを申し込んだ。打ち負かされた後は妖狐族の秘術「燕返し」を伝授し、オキナマルの舞いによって安らかに眠りについた。クレナイ以外に対しては罵倒するような発言をする。
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